アドリブ 人と人 心と心 つなぐ
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この度、鬼頭莫宏先生の『ヴァンデミエールの翼』の新装版が発売されることになったので、『なるたる』の新装版の記事を書いた直後にちょっとだけ書いていたけれど、あまりにめんどくさくて途中で「まぁいいや」と思って書く作業を中止してそのままにしていたヴァンデの記事に肉付けをして公開することにする。
本当は「『ヴァンデミエールの翼』の元ネタとかについて」ってタイトルで書きあげたけれど、こういうタイトルの方がヴァンデの新装版の販促になるだろうから変えることにした。
一応、新装版が出た理由についても説明しているし。
だから、記事内容的には『ヴァンデミエールの翼』のネタバレ解説でしかないのだから、まだヴァンデを読んでいない人は『ヴァンデミエールの翼』を読んでから、この記事は読んでください。
さて。
過去に『ヴァンデミエールの翼』の全話の解説は済ませているから、読みたい人はこの記事が存在するカテゴリーの他の記事を見たり、から飛んで確認してみてください。
ところで、僕ののり夫の解説を読んで『なるたる』を読み始めた人とか実際居るみたいで、『なるたる』の新装版の売り上げに若干寄与している部分とかあると思うのだけれど、なんかマージンとか受け取れないんすかね?
このサイト公開してきて、利益を受けたことより罵声を飛ばされたことの方がよっぽど多く記憶に残っていて、一円にもなってないし色々不満があるのだけれど。
マージンは受け取れない?
あっそっかぁ…。
今回はヴァンデミエールの足についている輪っかのことと、『ヴァンデミエールの翼』の一話の「ヴァンデミエールの右手」の元ネタについて。
一応、去年の九月に書いていた書き残しの残滓には、ヴァンデの元ネタ以外に二つ書くことがあると言及されていたのだけれど、もう一つが思い出せないからそのまま放棄することにする。
思い出せないということは、思い出さなくても良いことなのです。
さて。
ヴァンデミエールの自立胴人形の人々の足首には、輪っかがついている。
この輪っか、気付かなかったけれど全てのヴァンデミエールについている。
(『ヴァンデミエールの翼』1巻p.7)
一コマ目、よく見ると足首に輪がついているし、最後のコマでヴァンデミエールの顔の横にある足にもしっかり輪っかが存在している。
(1巻p.47)
(2巻p.36)
ブリュメールになり替わる際に服を脱いでいて、この時に輪っかの存在を確認できる。
(2巻p.116)
このヴァンデミエールにおいては、残されたのはこの輪っかだけだった。
(2巻p.130)
という風に全員のヴァンデミエールが足に輪っかをつけている。
この輪っかって何なんだろう。
認識タグかなんかなんだろうか。
と思ったけれど、実際のところ足枷らしい。
何故そうと言えるかというと、以下の描写があるからになる。
(1巻p.76)
このページの2コマ目、「私に 自由なんて」と言っているシーンなのだけれど、その時に何故か足元が描写されている。
描いている人によるところではあるのだけれど、漫画というものは基本的に全てのコマは意味を以て配置されている。
このシーンで言うならば、「私に 自由なんて」と言っている背景で足が映されているのだけれど、このことにも意味はある。
ヴァンデミエールの足についている輪っかが足枷であったならば、このシーンの意味は分かる。
その輪は繋がれた枷の輪であって、ヴァンデミエールが創造主に隷属していることの暗喩だとしたならば、自身の不自由さを理解しているヴァンデミエールが、ウィルの言葉に戸惑ってしまっているのだけれど、その不自由さの象徴として足枷が描かれていると理解できる。
加えて、ウィルはヴァンデミエールを自由にするために、懸賞飛行の賞金でヴァンデミエールの身受けをしようと大会に出たのだけれど、創造主の妨害を得て墜落してしまう。
その際に、こんなシーンがある。
(1巻p.73)
この最後のコマで、ヴァンデミエールが足枷を解かれて飛び立つイメージが存在している。
あくまでイメージでしかないのだけれど、あの輪に足枷としての意味が存在していたならば、それが解かれて自由へと解き放たれたイメージの描写として理解できる。
なので、この輪っかは足枷として描かれていると断言していいと思う。
この足枷なのだけれど、ウィルの飛行機に突っ込んだカラスにもついている。
(1巻p.68)
漫画表現としては、このカラスが創造主の被造物であるということの指示としてこのような描写があるのだけれど、どうもこの創造主は自分が作ったものに足枷を作るらしい。
ただ、作中に出てくるピノキオみたいなやつの足にはそれを認められない。
(1巻p.56-57)
このことについてなのだけれど、これは靴で隠れていて本当はついているか、純粋に鬼頭先生が付け忘れたかのどっちかだと思う。
この一連の枷の表現についてなのだけれど、これはやはりフロイトという精神分析家の思想が影響を与えていると思う。
フロイト的な世界観では、父親は束縛するもので、奪うもので、敵対するもので、克服するものだからになる。
フロイトはオイディプス・コンプレックスという言葉を作り、子にとって父親は殺害して母親を奪い取りたい対象だと説明している。
それについて色々あるのだけれど、僕自身がフロイトの妄想に付き合っている時間の余裕がないために、詳しく知らなくて、ただそういう話があるということだけを理解している。
大学で精神分析の授業を受けていたので、その時の知識とちょいちょい調べ事で出会う知識だけです。
神話学というのはユングという人が有名だけれど、ユングはフロイトの弟子筋の人だから、フロイト的なものはユングの話の中にある。
おそらく、鬼頭先生が興味を持ったのは神話的なものであって、その資料集めの中でユング、そしてフロイトの話があったのだと思う。
ユング自体に父親の
克という発想は確か存在してなかったけれど、その神話解釈の中に確かフロイトの文脈での父親が登場してくる。
僕はユング系列の童話の本を読んだことがあるのだけれど、フロイトの文脈で父親を扱っていた。
僕はその本を読んで、このことが妄想とどう違うのか、さっぱり理解出来なかったけれど。
鬼頭先生が当時関心を抱いたのは神話についてであって、それは鬼頭先生の作品の中で見られる『神話・伝承事典』の情報から読み取れる。
他の人が書いた鬼頭先生の漫画の考察をいくらか読んだことはあるけれど、神話の話と関連付けられたとしても、それはフロイトやユングについてが多い。
けれども、鬼頭先生が一番影響を受けたのは『神話・伝承事典』だと断言できると思う。
「テルミドールの時間」で、ヴァンデミエールは石の建造物のそばで発見される。
(1巻p.84)
これについて、『神話・伝承事典』では子宮のメタファーだという言及がある。
それについては以前の解説の記事で言及したのだけれど、そもそもこの墳墓のある深い森について、それが胎内であるという言及が『神話・伝承事典』に存在している。
引用しようとお手元の『神話・伝承事典』をペラペラめくったけど、面倒だから引用しなくていいや。(この間3秒)
『なるたる』にも『神話・伝承事典』の影響は見られるし、これは最近分かったのだけれど、『ぼくらの』に登場するロボット全てが、『神話・伝承事典』に登場するモチーフで統一されている。
『神話・伝承事典』にアラクネの項はあるし、バヨネットは同じく項のある”いちじく”のイメージから作られているし、キャンサーに関してはとりあえずカニの項は存在している。
だから、鬼頭先生は神話というものに関心があったのであって、精神分析に関心があったわけではないのだと思う。
ただ、神話学は精神分析学のクソにまみれているので、そういう情報が混入していて、鬼頭先生はそれを得たからこそ、そのようなモチーフが『ヴァンデミエールの翼』に存在しているのだと思う。
僕は精神分析学のことを根拠に基づかない妄想だと考えているし、『神話・伝承事典』の記述内容について、フェミニストによる都合のいいパッチワークだとしか判断できなかった。
例えば、”禁欲主義,苦行”の項に「禁欲主義こそ天国へと至る鍵だとした一番最初の人はジャイナ教徒たちであったと考えられる」とか書いてあるのだけれど、これ嘘ですからね。
ジャイナ教の成立の数百年前に成立した、『ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド』というバラモン教の奥義書の中に、しっかりと欲望を抱かないことによってブラフマーの世界(天国みたいなところ)へと行くという話が存在している。
別に間違いはこの記述に限らなくて、殆どの記述が疑わしいし、根拠が示されない場合が殆どで、実際に記述内容を検証した結果、それが嘘だと分かっている情報が沢山ある。
僕は個人的に、『神話・伝承事典』の記述内容について、科学的な手法を用いずに、フェミニストの想像力と既存の情報の脳内での組み合わせによって作られたパッチワークだと考えている。
鬼頭先生の話をする時以外で役に立ちようがないんだよなぁ…こんなの。
ただ、鬼頭先生はそう考えなかったらしくて、かなりの頻度で『神話・伝承事典』の情報が作中で見いだせる。
『双子の帝國』に出てくる神聖娼婦とかも、しっかり”売春”の項でその用語の使用が認められる。
(鬼頭莫宏『双子の帝國』1巻p.19)
そもそも『双子の帝國』自体が、逞しく強かな娼婦たちの話なのだけれど、『神話・伝承事典』の娼婦の記述にしたって、娼婦は神聖で知恵のある人々だったという話なのであって、まぁそういうことだと思う。
確か、双子は素晴らしい存在であるという記述もあった気がするから、元ネタは『神話・伝承事典』でしょうね。
悪し様に『神話・伝承事典』のことを書いたけれど、ただまぁ、漫画のモチーフにする点ではその記述内容の正否が何かを濁すことはないし、その材料を使って物語に奥行きが出たり、何か良さが生まれてくるのならば積極的に使ったほうが良いと思う。
ところで、『なるたる』の新装版が出た理由については以前言及したけれど、『ヴァンデミエールの翼』の新装版が出た理由についても補足しておく。
普通に『なるたる』の新装版がそこそこ売れて、講談社が味をしめたというのが実際だと思う。
「買う奴いんのか?」と僕は思っていたのだけれど、twitterで「なるたる」あたりで検索すると、思いのほか多く、『なるたる』の新装版を買っている人がいた。
twitterをやっている人、twitterでわざわざその話をする人より遥かに、ただ買って読んで、そのことはネット上で公開しない人が多いのだから、結構売れていたのかもしれない。
最近の僕はほぼ毎日ヤフオクで原始仏典を検索しているのだけれど、時々「なるたる」で検索する場合もあって、そういう時に売り出されている『なるたる』の値段を見ていた。
安くなっていた。
市場に『なるたる』は十分流通しているようだし、実際買っている人も多いみたいだし、『ヴァンデミエールの翼』の新装版が出るのは、普通にヴァンデの新装版を出す程度には『なるたる』の新装版が売れたからだと思う。
次は単行本未収録分を含めた『終わりと始まりのマイルス』発売してくださいオナシャス。
マイルスについても一応解説は出来るというか、あの世界観の物理法則は哲学者のカドワースやフィヒテなどの物活論が元ネタなのだけれど、資料を集めるのが面倒だったから、解説しないでおいた。
初出は古代ギリシア哲学で、鬼頭先生がそれを得たのはアリストテレスの『自然学』あたりからだろうとは思うのだけれど、思うだけで終わりにすることにした。
万が一マイルスの新装版が出たら、解説を書くこともおう考えてやるよ。
まぁヴァンデの新装版が出たのは『なるたる』の新装版がそこそこ売れたからだろうから、『ヴァンデミエールの翼』の新装版がかなり売れれば、『終わりと始まりのマイルス』の新装版も出るかもしれない。
…マイルスは『なるたる』や『ヴァンデミエールの翼』
違って、講談社じゃなくて太田出版だから無理か。
仕方ないね。
ヴァンデについては以上になる。
ただ、思うことがあって、少し関係ないことを付け加えることにする。
『ヴァンデミエールの翼』の解説は以上だけれど、少し思うところがあって、ちょっとしたことを書くことにする。
のだけれど、ヴァンデには関係がないので、別の記事を作ることにした。
正確には書ききった後にその文章を切り取って、新しい記事を作ってそこに貼り付けた。
ね。
それと、コメント欄についてなのだけれど、新しく記事を書いたからコメント出来るようにしようかとも思ったけれど、クソみたいなコメントはどうやっても防げないからこのままにすることにした。
いくら普通のコメントを貰えたところで、クソみたいなコメントを貰うとどうしようもなく虚しくなるからね、しょうがないね。
・追記
この記事自体は中盤に『ヴァンデミエールの翼』の元ネタについてもう一つの言及があったのだけれど、後々にガバが発見されて、場当たり的にその部分だけを削除するという処置を行っている。
どんなガバがあったかは気にしないでください
それとは別に、『ヴァンデミエールの翼』の元ネタについて、鬼頭先生自身が言及している雑誌のインタビューの画像を御厚意で頂いたので、そのことについて追記することにする。
『彼の殺人計画』と『風の王』のデータを譲っていただいた方です。
この場を借りて感謝の意を。
それは一か月くらい前なのだけれど、正直、カタカタとその文章を打ちなおす作業が嫌過ぎて、後回しにしてきた。
とりあえず貰った以上反映させなきゃならないから、重い腰を上げて反映させることにしたけれど、それでも嫌なのは変わらないので、画像を切り取るという方法を取った。
(『Febri』Vol.40 一迅社 2017年 p.130)
読めるかどうかは分からないけれど、とりあえず、ヴァンデの元ネタについては、サントリーのCMとベルメールとかいう芸術家の作品にはまっていたことに着想の元があると言っている。
確かに、『なるたる』の頃のアフタヌーンの作者コメントで、そのような人形の展覧会について言及していたような、してなかったような気がする。
全部の作者コメントをメモったノートを持っていたんだけれど、使い道がねぇってことで放置してたし、この前誤って捨てちゃったから確かめようもないけれど。
このヴァンデの着想のことについて概ね事実だとは思うのだけれど、本人が言えばそれは正しいということはない。
例えば、ヒトラーの『我が闘争』に書かれている内容は正しく事実を示せているかと言えば、おそらく脚色されているし、人間の記憶は曖昧になる。
自分自身に問うてみて、10年以上前のことをそんなに覚えているかと言えば覚えていないのが実際だと思う。
だからこの鬼頭先生の回答もまぁ正しいとは思うのだけれど、実際はどうだろうね。
ちなみに、過去の鬼頭先生のインタビューでは鬼頭先生はヴァンデについてこう言っている。()
というかね、僕自身、ヴァンデの着想の一端について知っている。
インタビューの内容は間違いでもないのだけれど、他にも人形である要因はあると思う。
あんな理由、インタビューじゃ答えられないからなぁ。
僕だったらシラフであんな理由は絶対に言えませんね…。
それについてはまぁ、以前の記事で書いたから、このサイトをくまなく探せば僕が何を言っているかは分かると思う。
“自律胴人形”である理由はきっと、インタビューで答えた理由だけではない。
諸般の事情でURLは用意しないけれど。
他には、『なるたる』以降の作品は『ヴァンデミエールの翼』の翻訳作業であると考えているという言及がある。
おそらくのなのだけれど、鬼頭先生は『神話・伝承事典』の内容に感化されて、天空神を克服したり、女神というか地母神の世界へ回帰する内容のことを言っているのだと思う。
『ヴァンデミエールの翼』は、天空神を裏切って空へと滑空する話だし、『なるたる』は地母神へと回帰する話だし、『ぼくらの』は神をただの物理現象だと言い放って神から脱却する内容になるからになる。
(『ぼくらの』11巻 p.198)
おそらく、鬼頭先生的には『ヴァンデミエールの翼』は天空神の克服と地母神への回帰の話で、『なるたる』、『ぼくらの』もその部分があって、インタビューではそのことについて言っているのだと思う。
本当かどうかは知らない。
鬼頭先生が何考えて漫画描いているかなんて知らんがな。
加えて、同じインタビューの中に、『なるたる』を描くときは大体決めてから書いていて、5割程度は最初から決まっていて、後はアドリブだという言及がある。
それの証左として、連載中に新たに登場させたキャラクターもいるとかなんとか。
以前の言及より30%減ってるんだよなぁ。()
人間の記憶なんて曖昧だからね、仕方ないね。
だから、『ヴァンデミエールの翼』の着想については、おそらく”あの理由”を当人が忘れているのだと思う。
とりあえず、記事の画像を譲ってもらったのでその内容を反映させようとは考えていたのだけれど、書き写す作業が嫌過ぎて、一か月以上遅れてしまった。
その画像、この記事を公開した翌日ぐらいに貰ってたのだけれど…うん。
ただ、遅れた結果、新装版の表紙の画像が出てきてから追記することになったので、その画像も用意することにする。
(より)
こんな表紙らしいっすよ?
…ヴァンデって『なるたる』と違ってプレミアついてなかったのだけれど、果たして売れるんすかね?
良く分からないけれど。
では。