同種が止まらない

同種が止まらない

同種 食の、あたらしい風。

射手座の持つ気質というものを考えたとき、

真っ先に思い浮かぶのは発達した、いまにも駆け出そうと力を充満させる、美しい太ももだ。

女の子の柔い太ももではなく、アスリートのそれ。

陸上のトラックを駆け、跳躍するその腿は、大地に根ざすことより大地を蹴って重力から逃れることを一途に目的にしている。

彼らだって私たちと変わらない、翼を持たない、地に属する獣なのに、

すべての疾走は飛翔するための助走なのだと言わんばかりに、ひたむきに、走る。

射手座の魂がなぜこうまで迷いなくポジティヴなのかと言えば、

それは彼らの精神がいつも肉体よりもずっとずっと速く、これからゆくべき世界へ先駆しているからだ。

よく知られているように、射手座の象徴はケンタウロス。

賢者の上半身と馬の下半身を合体させたキメラのような幻獣なのだが、

神話を紐解くと、星座として空に召し上げられたこのケンタウロスは、

同種の一族の中でもとても特殊な、ほとんど唯一無二の「賢い」ケンタウロスなのだという。

ブッダやキリストが、人間という種の大勢に先駆け、いち早く目覚めた人となったように、

ケイローンは目覚めたケンタウロスだった。

■目標に向かって矢を射る

さて、走る獲物に向かって矢を射るとき、あなたはどこを狙うだろうか?

合理的な答えは、獲物の鼻先の空間を狙うこと。
どてっぱらを狙っても、矢が届くよりも先に獲物はその空間から移動してしまう。

ケイローンは弓矢を女神アルテミスから習ったと言われるが、

彼女もまた、狩の名手であると同時に知恵の女神でもある。

「目標を達成する」ということは、「未来を予測して動く」ことであり、

知性は動き回るターゲットや、変化する状況を、ありうる未来の可能性へと絞り込んでいく。

射手座の意志はいつも「いま目の前の現実」の向こう側に先に到達している。

そしておかしな話だが、彼らはその予測が実際に当たるかどうかをあまり問題にしていない。

実際には獲物は予想よりもかなり速く、矢尻をかすめて翔り去るかもしれず、

逆に急に立ち止まって方向転換するかもしれない。

しかし彼らとってより重要なのは、獲物が手に入るかもしれないと期待して、

ワクワクしながら、大胆な未来に向かって、一途に走り、矢を射ることができた、そのことそのものなのだ。

その瞬間、魂は逃れようのない「現実」という箱から自由になることができるから。

馬はいくら走っても飛行機にはなれないし、

天にまします神々は地上に縛り付けられた人間からはあまりに遠い。それは現実だ。

しかし生きなければならない現実が重たくのしかかる時にあっても、

射手座の魂は、その意志だけは、あらゆる重力から自由だ。

想像するのは勝手だとのたまって、大統領になるとか、

アカデミー賞を取る女優になるだとか臆面もなく言い出す射手座の能天気さは、

周囲の地を這う獣たちの苦々しい嫉妬と嘲笑を浴びることになる。

いくら脚が速くても、お前だって所詮馬で、ペガサスとは違うのだと。

彼らの疾走が、時に見ていられないほど痛々しく・苛立たしく感じるのは、

すべての地を這う獣たちがかつて同じように飛ぼうと試みて、手酷く失敗をした経験があるからだ。

彼がこの次、どんな痛い目に合うか知っている。俺だってそうだった。

矢は獲物に当たらなくて、前脚を小石に引っ掛けて無様に転倒するのだ。

ほら、やっぱりそうなった。
もうやめておけばいいのに……

やめておけばいいのにと呆れながら、見ていられなくて時に目を逸らしながらも、

それでも周囲の獣たちの関心は、どうしようもなくこの疾走する一匹の人馬に引き寄せられてしまう。

躍動する全身の筋肉。

全力で駆けながら、矢をつがえ、弦を引きしぼる、口の端辺りでキリキリと緊張する右手の指先が、

弓をしならせるスックと伸ばされた前腕と、やや返された左手の拳が、

ひたすらに獲物の行く先の、まだ何も無い「未来」という名の空間を見つめる瞳が、

あまりにも、馬鹿馬鹿しい程に純粋だから。

なんども無様に失敗した後なのにも関らず。

彼の全身全霊が一つのゴールに向かって叫んでいた。
「『現実』を超えるのだ」と。

■「美しい」ということは

12星座の中で「美」に関わる星座と言えば、普通はヴィーナスを支配星に持つ牡牛座か天秤座。

あるいは細部へのこだわりを持ち美意識が高い乙女座あたりか。

しかし、射手座が能天気に過ぎる口を噤んで、一心に走っているその瞬間には、格別な何かがある。

必死になり、集中し、たった一つの願いのために全存在が絞り込まれていく、

その一途に集約されたエネルギーのあまりの馬力に、嫉妬も忘れて笑ってしまう。

すごいな、そんな風に全力で走ったら気持ちが良さそうだ。

そうして射手座の全走破・全跳躍は、漲る太ももに記憶されることになる。

その美しい太ももは、人生の重荷……すなわち、自分自身の重みを事も無げに支える。

未来へ未来へと突き出す頭脳と、半歩後ろを蹴る重みのある肉体が、独特のリズムを刻む。

失敗しても、転んでも、いつでも立ち直りが早く笑っている若き賢者に、なぜそうも能天気なのかと問うてみよう。

彼はこんな風に答える。

獲物はコントロールできない。
だから失敗してもそれは仕方がない。手に入ったならそれは恩寵だ。

だけど自分の肉体と集中はコントロールできる。
集中しているとき、精神と肉体がぴったりと一致する。

そのとき私は、未来へ向かって進んでいるのではなく、未来に生きている。
時間を超えているとき、私はこ
こにいながら、ここにいない。

私は追われる獣になって森を逃げる。
私は飛んでゆく矢になって私自身に追い縋る。

私は殺される者であり、私は殺す者でもある。
私はすでに死んでいて、私はまだ生きている。

それが面白くて、転んでも、失敗しても、笑ってしまうんだ。

夢中の魂は飛翔する。

集中の中で時はほとんど止まり、未来が実態を持って身に迫る。
そのとき、矢を躱すのも、矢を受けるのも、意志ある世界の選択に変わる。

■ちょっとだけ解説

「先駆する」という表現は、ハイデガーの哲学から拝借した言葉です。

時間軸に引き伸ばされた人生には「Xデー」というものが存在します。

それは、締切日だったり、試験本番の日だったり、別れの日であったり、始まりの日であったりしますが、

その日を境に今までの何かが容赦無く終わってしまう、極限の時のことです。

この「Xデー」の最たるものが「死」と呼ばれるものですが、

私たちは同じような日々の繰り返しの中で、いつ訪れるとも知れない残酷な「死」を勤めて忘れようとしています。

全員、必ず死ぬ。
知っているはずなのに、意識したくない。

それは、終わりが来ることを意識してしまえば、今日を怠惰に楽しむことができなくなってしまうからでもありますし、

「終わり」から逆算して今の行動を縛られるなんて、なんとなく不自由な気がするからかも知れません。

射手座の精神のとても美しいところは、こうした「終わり」、ある種の「達成」、

究極的には「死というXデー」に、精神を先駆けているところです。

オリンピックに向けて集中するアスリートや、

本番の舞台のために自分を追い込む俳優をイメージすると分かりやすいでしょう。

彼らのひたむきな修練は、外から見ていると「ストイックな努力」としか形容しようがありませんが、

しかし集中している本人の視点に立って見るならば、

彼らは「本番の舞台」に立っている意識を生々しく持ちながら、

持っているからこそ、今すべきことが明快なのだと想像できます。

私は自由とはなんだろうと考えるとき、二つのアンビバレントな答えを感じます。

たった一つの目標に向かって人生を(少なくともある期間)生きるということは、自由がないようにも思えます。

しかし彼らは、「瞬間瞬間に、数多くの選択肢の中から好きなことを好きなように選んでいい自由」を手放している代わりに、

自分の肉体や精神、時間や環境を、意志によって自由自在にコントロールする術を身につけ(ようとし)ています。

彼らはいつも「Xデー」に生きている。
残酷にも人生には終わりがあること、練習時間は無限ではないことを、受け入れて生きている。

だからこそ、今日、今、この瞬間に、

まだ準備に使える時間があるということそのものが恩寵です。

今この瞬間に喜びを持って生きるというのは、本当はこういうことなのではないかと、

射手座の精神を思うたびに感じます。

喜びと情熱に満たされた一瞬を、一心に疾走する。

射手座の魂にとって今を生きるとは、未来に生きることと同じ。

射手座の「自由」とは手の届く範囲の娯楽に溺れることではなく、

先駆する精神の呼び声にしたがって、全身全霊の自己をひとつの行為に投入する、その夢中さの中にある。

なぜならそうして生きている時私たちは、時間も、現実も、生も死も飛び越えて、

世界を更新していく意志そのものになっているから。

射手座のシーズン、私たちは勇気を持って「終わり」が必ず来る、

ということに向かい合う必要があります。

(ハイデガーはこれを、「死の先駆的決意性」と呼びました)

「生きている今」「繰り返しの毎日」から位相の違う「Xデー」に狙いを付けて、

もうひとりの自分はすでにそちら側にいるのだと思い定めてみます。

「Xデー」が来るたびに私たちはこう思うわけです。
「あのとき、もっとああしておけばよかった」と。

この、「あのとき、もっとああしておけばよかった」と痛切に実感しているときほど、

私たちに生きる情熱や行動する意欲、迷いのない行動選択を与えてくれる精神状態はありません。


夏休みの最後の1日。

死の直前。

お別れのその時。

その時立ち上がってくるのが、あなたの射手座の精神です。

その精神があなたの人生を導き、あなたに今何をすべきかを、切実に語りかける。

やりたいこととやるべきことが一致して、賢者の頭脳と獣の馬力が融合する。
あなたの肉体は疾走する一個の火の玉になる。

死を真摯に見つめる精神だけが、生きる情熱と喜びを本当の意味で理解している。

さて、あなたが今日死んでしまうとして、どんな「昨日」を後悔するでしょうか?

ループものの映画や、リセットボタンが押せるゲームだとしたら、

どこに戻って、何をやり直すでしょうか?

今、ここにいるあなたは、先駆した魂が掻きむしる程悔しがって、必死で戻ってきた過去のあなただ。
未来を見た射手座の魂は、今のあなたにはできることが信じられないほどたくさんあるのを知っている。

あなたの太ももには、立ち上がり、駆け出す力が、射手座の精神がちゃんと宿っている。

RUN! (走れ!)

Crossing

岡崎直子

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『慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)』
で、たった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。
ハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミハサミ
H29年2月20日…④
突然の宣告を受け
心臓が破裂しそうな程ドクドクと波打った。
悪いことばかりが頭をよぎる…
どうしてこんなことになってしまったのか…
なぜ私の息子が…
何か悪いことしましたか?
夢に向かって懸命に生きてきただけなのに…
私は決してあきらめない!と誓ったけど
やっぱり怖くて、可哀想で・・・
家族控室で泣きに泣いた。
しばらく泣いたあと
翔平の病室に行くために
一生懸命笑顔をつくった。
落ち着け…落ち着け….と、心の中で呟きながら
病室に行くと
翔平はいつものように念入りに歯磨きの真っ最中!
白血球がとても少ないので、菌には注意です!
でも、血小板も少ないので出血しないように細心の注意も必要!
歯ブラシをモゴモゴしながら翔平が言った
「母さん、俺、サインしたから。」
ふとテーブルに目をやると
「同種造血血幹細胞移植について」の説明書
「移植治療」の同意書
「中心静脈カテーテル挿入留置」の説明書
「カテーテル手術」の同意書

が置いてありました。
それぞれに今日の日にちが書かれていて
そこには
署名欄からはみ出んばかりに
大きな文字
そしてしっかりと、堂々と
「〇〇〇翔平」とサインがありました。
負けるもんか❗️

そんな気持ちが現れている文字でした。

日本を蝕む同種

朝鮮半島では4千年前に倭人が米をもっていき、田んぼを耕して、国を造ったのです。そこにいた人間は漢民族と女真族と扶余です。奴らに文明はできません。遊牧民に文明などできません。

 日本が国を造ってあげたら、途端に欲しくなったのです。『三国史記』に書いてあります。

新羅(紀元前356年―935年)を造ったのは、倭人だったのです。『三国史記』新羅本紀によれば、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があり、そしてそれぞれに始祖説話を持っています。新羅はこの3王統により何度か王朝交代が起きており、それぞれの王統が王位を主にしめていた時代を朴氏新羅・昔氏新羅・金氏新羅と呼びます。

朴氏の始祖説話では、林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵がありました。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけたのです。卵が瓢箪(ひょうたん)ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗ったといいます。建国時に腰に瓢箪(ひょうたん)をぶら下げて日本から海を渡って来たことから瓢公(ここう)と称されるようになった倭人が、大輔という役職名の重臣になりました。また、瓠公(ここう)が、瓢箪(ひょうたん)を腰にぶら下げて海を渡ってきたことから瓠公(ここう)と朴赫居世を同定する、またはその同族とする説があります。

 昔氏の始祖説話では、倭国東北一千里のところにある多婆那国(現在の兵庫北部等の本州日本海側と比定される)の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流しました。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきました。箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解(だっかい)」を名としました。

 百済の始祖仇台説では、『後漢書』『周書』『魏書』『隋書』によると「仇台」という者が、かつての帯方だった地に百済を建国した。それで百済には仇台を祀る廟がある」と書かれています。

 百済は、扶余族中心の国でしたが、高句麗と対立していたため、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国となり、王家も倭系になったと見なしています。百済の王を代表する武寧王(ぶねいおう)も倭国の生まれであり、倭人の国だったのです。

 「寧東大将軍百済斯麻王」斯麻王のネーミングについては、海中の主嶋で生まれたので「斯麻」と名づけられたと言われています。この「主嶋」ですが、佐賀県玄海海中公園の加唐島を当てるのが、わが国では有力な説らしいです、つまり武寧王は、倭で生まれたことになります。

 母親が武寧王を身ごもったまま大和に来る途中、加唐島(かからのしま)で生まれたので、嶋王(しまおう)と呼ばれたという話が「日本書紀」に記されています。

倭人が朝鮮半島に国を造ったのです。その時に朝鮮人などいません。倭人がいて、女真族や扶余や漢民族がいただけで、この連中は国などできません。結局、倭人が国を造ってあげたのです。それで倭人が王になったのです。

そこに来たのがエベンキ人です。エベンキ人と山葡萄原人の混血児が倭人の造った国を襲ってきたのです。何回も略奪に来るのです。国は簡単に盗れません。襲って引き上げて、何回でも襲ってくるのです。

 シナでもそうですが、王朝が亡びる時には、何回も蛮族が襲ってくるのです。たまりかねて万里の長城を造っても、どこかから隙間を開けてチョロチョロと略奪に来るのです。遊牧民は襲うと逃げてしまうのです。何回も襲撃するのです。波状攻撃で、何回も襲ってくるのです。撃退してもまた来るのです。始末におえません。

 エベンキ人と山葡萄原人の混血児はついに城を破って中に入ったら最後、男は全て皆殺しです。残酷この上ありません。おそらく人間も食ってしまったのです。女は犯しまくって子供を産ませるのです。それが波のように来るのです。撃退したかと思うと、また襲ってくるのです。終わりがありません。

 この獰猛の性格は倭寇まで続いているのです。倭寇が日本人のわけがありません。ちゃんと理由があるのです。日本は豊かな国です。朝鮮半島のどこが豊かなのでしょうか? 倭人がいなくなってしまい、盗るものなど何も残っていません。

 倭寇が出かけていき、八幡大菩薩の旗を立てて、腰に日本刀をぶち込んで暴れまくったなどウソなのです。エベンキ人と山葡萄原人の混血児が倭人のフリをして襲ったのです。今でもそうです。朝鮮人は日本人のフリをして悪さをなします。それと同じです。

 そこで、国を破り「俺たちは百済人だ」「俺たちは新羅人だ」「俺たちは高句麗人だ」と乗っ取り、いつの間にかその国の王様になってしまったのです。この連中は馬鹿だから王朝を維持できないのです。だから年がら年中喧嘩をして、統一新羅になったり、新羅が百済をやっつけたり、高句麗が出てきたり、まさに三国に分かれて争い・争いの連続です。

 遊牧民だから中心点など何もありません。そんな連中ですから、文化など一つもありません。何の文化があると言うのでしょうか? 「韓国は器を造ったから韓国の陶工は貴重がられた」など、何を馬鹿なことを言っているのでしょうか? 

日本の縄文土器を見て御覧なさい。土器で一番古いのは縄文土器です。1万5千年前から造っています。朝鮮半島には、5千年前は誰もいなかったのです。何を馬鹿なことを言っているのでしょうか?

 まだ文句を言うところがあります。朝鮮の神話はペクトー山神話です。熊と虎が「人間になりたい」と願って修行して虎は断念して、熊が人間になったのです。だから、朝鮮人の先祖は熊ですから獣です。「先祖が熊」などと言うならば、朝鮮人に文化などありません。日本人の先祖は神です。

 朝鮮人の言うことは全てウソです。「ここだけウソをついた」というのではありません。朝鮮人の存在そのものがウソなのです。それは「山葡萄原人には言語がなかった」ということに関係しているのだと思います。

 エベンキ人は言語があったのですが、山葡萄原人は原人だから言語がなかったのです。どうして言語を覚えたのかというと、覚えるだけの能力はあったのです。ただし、難しい言語の意味はわかりません。

 エベンキ人と混血して、山葡萄原人は言語を覚えたのです。覚えた言語はエベンキ語です。今でも韓国で使われているのは、エベンキ語です。韓国の学者が「韓国人の先祖はエベンキ人だ」と言っているのです。

 韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると話した。韓国人のルーツはエベンキ人ではないかと主張しています。

 山葡萄原人はエベンキ語を覚えたのです。山葡萄原人は言語がなかったので、抽象的な言語はわからないのです。言葉がないと抽象的な言語はわかりません。日本人が朝鮮人から教わったことなど何もありません。

 コメ作りも日本人が教えてあげたのです。朝鮮半島を切り拓いて国を造ったのも日本人です。前方後円墳も倭人が造ったのです。韓国には72基の前方後円墳があります。前方後円墳だとわかると韓国人は壊してしまったのです。

 「朝鮮に倭人がいたはずがない。前方後円墳が邪魔だ」と壊してしまったのです。朝鮮人は文化を捏造して、ウソばかりです。唯一やっている文化は試し腹、近親相姦です。朝鮮人は娯楽がないから、これは熱心にやっていたのです。

 文化がないので、やることはあのことだけです。近親相姦で父と娘、母と息子、兄妹相姦でやりまくっていたのです。だから、朝鮮人は頭がおかしいのです。近親相姦をすると頭のおかしい子供が産まれるのです。

 そんなものを日本人が習う必要はありません。ウンコを食べる糞酒、小便を飲むなど文化ではありません。日本人が朝鮮人から何を教えてもらったというのでしょうか? 本当に腹立たしい限りです。朝鮮人はウソをずらずらと述べます。これを世界に向かって発信しているのです。「聞いてください。日本人はこんな残酷なことをやりました!とスピーカーで発信しているのです。

 これは毅然とした態度で「止めなければ韓国とお付き合いしません」と言えばよいのです。それをやらないから、安倍さんは朝鮮人だと言われてしまうのです。そのように言えばよいのです。「仏の顔も三度まで」です。三度までも滅茶苦茶なことをやられたら、黙っているわけにはいきません。

 朝鮮人は絶対に仲良くできない民族です。朝鮮人には文化はありません。民族が違うとはそのようなことです。「朝鮮人は同文同種である」と言い、「日韓同祖論」を学者が唱えたのです。「日本人と韓国人の先祖は同祖である」と言うのです。

 朝堂院大覚先生は未だに日韓同祖論を信じています。日本人と朝鮮人は同祖ではありません。司馬遼太郎も日韓同祖論です。日本人と朝鮮人は、全然違う民族です。言葉も違うし、顔も違えば言語の理解能力も違います。それをしっかりとわかっていきましょう。

■倭寇

倭寇(わこう)とは、一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の中国・朝鮮側の呼称。和寇と表記される場合もある。また海乱鬼(かいらぎ)、八幡(ばはん)とも呼ばれる。

高麗は倭寇が原因で国力を弱め1392年に李成桂に滅ぼされることになるのだが、その後の倭寇のメンバーについては、朝鮮人の割合が圧倒的となっていたという記録が残っている。
の『世宗実録』114卷二十八(1446年丙寅)十月壬戌条(10 28 (壬戌))には、「臣聞前朝之季、 倭寇興行、 民不聊生、 然其間倭人不過一二、而本國之民、 假著倭服、 成黨作亂、 是亦鑑也。」とあり、「真倭は一割、二割にすぎず、残りは我が国の賎民である」と記述されている。

■挹婁(ゆうろう)は黒い山葡萄原人の子孫

挹婁(ゆうろう)は、後漢から五胡十六国時代(1世紀から4世紀)にかけて、外満州付近に存在したとされる民族。

『三国志』には、夫余の東北千余里のところにおり、大海に面し、南は北沃沮と境を接し、北はどこまで及ぶのかわからない。その土地は険しい山地が多い。気候は寒冷で、夫余よりも厳しいとあり、外満州(現在のロシア連邦沿岸地方)の松花江流域に居住した。

・衣食住と人尿洗顔

挹婁の生活スタイルは、その東夷諸国のなかでは極めて特異である。まず、挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。竪穴は深く(梯子の段数が多く)かつ大きいほど尊ばれたという。住居を地中に構えたのは、防寒の為と考えられている。さらに、部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。これについて『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている。また、挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだという。食事をするときに、他の東夷諸国では俎豆と呼ばれる食器(高杯形土器)を常用していたのに対し、挹婁人は俎豆を使う習慣が無く、鼎や瓶や平皿を用いて炊事や食事をし『後漢書』『三国志』では「東夷のなかで習俗が最も無規律な者たち」と記している。

人が少なく、険しい山に住み、衆は規律に服さず、船が巧みでしばしば近隣諸国を寇掠したとも記されている。また、邑落の大人を一つの血族が継承する習俗は、近隣の扶余や沃沮が合議による選挙で大人を選んだのとは対照的である。

晋代の記録では「馬がいるが騎乗はせず、牛と羊がいないが、多くの豬(ブタ)を飼っている」とあり、家畜は彼らの財産であった。また、遺跡からは豚と共に多数の魚や犬の骨が発見されているが、牛や鹿など他の動物の骨はあまり見られない。

※山葡萄原人が挹婁(ゆうろう)になり、朝鮮人が犬を食う習慣は挹婁(ゆうろう)の頃からあったのです。

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