意外と知られていない職人のテクニック10選
白くんにとっての門出
今日もいのちに感謝。
3時間で覚える職人絶対攻略マニュアル
バックラッシュって釣り用語がある。
リールの軸が糸の出ていくスピードよりも速く回転しちゃって下の写真みたいにぐちゃぐちゃになっちゃうこと。
コレを防ぐには糸が出て行くあいだ、回転する軸を指でおさえて調整するサミングって技術が必要なんですけど、サミングは慣れてしまえばそんなに難しい技でもなくて、要はバックラッシュ発生はヘタクソの証。
自分、中学から釣りを始めたんですけど、まーったくセンスがなくて、しょっちゅうバックラッシュを起こしていました。
バックラッシュのたびに糸をほどいてはルアーを投げ、するとまたバックラッシュを起こして糸をほどいて、っていうエンドレスループ回転木馬のデットヒート状態。
中学生の間、釣り場では釣りをしていた時間よりも糸をほどいていた時間の方が正直長かったです。
おかげで糸ほどきの腕だけは職人レベルになり、その内たまにバックラッシュを起こした友達が「直してくれ~」と自分に糸ほどきを頼んでくるようになっていました(笑)
釣りをしに来て、糸ほどきが上達するって、趣味はいったいどっちなんだ?
そういう昔からの根っからのマッチポンプ野郎です。
ほんとごめんなさい。
昨日はブログを書きたかったんです。
なにが問題だったのか、根本が見えた気がしたんで。
気づけずにごめんなさい。
書いてくれて、続けてくれてありがとう、と。
読んですぐに思い、構成も考えました。
でもたぶん疲れていたんだと思います。
昨日はブログかきてーから行きたくないタイミングだったけど、上司との飲みになりました。
でも行ってみたら珍しくチヤホヤされて、やる気無し社員ながらもブー垂れつつ今までやってきたことがやっと理解されつつあるのかな。
楽しくなっちゃいました。
ホッとしたのか、帰ったら疲労がガツンと体を襲ってきました。
フルマラソンでいえばfinishが見えたとたん脚が攣った、みたいな。
絡まっていた糸をガー!っとひっぱり寝てしまいました。
最悪だ。
でも、朝起きたら絡まっていた糸がほどけていました。
こんなことってあるんだ。
自分でムリにほどかなくても、代わりにほどいてくれる人がいるんだ。
信じていいんだ。
思えば、仕事でも趣味でも、一人でやろうとしすぎなのかな。
連携ってものが案外苦手です。
そう、三人でやらなきゃね。
東京当選、おめでとうございます。
ちゃんとチャンスは平等にやってくるんだ。
マラソンの神っていうのを初めて信じたくなった。
もちろん全力で応援しに行きますよ。
自分も、静岡でなにがなんでもサブスリーだな。
誰か一人でもダメだったらまた来年に持越しですよ。
全員そろうまでマラソンもブログも辞めちゃダメですよ。
とりあえず明日、飲みましょ!
P.S.
83分はツラいっすw(>_<)
職人最後のチャンスを手に入れよう
こんにちわ♪
ユーミーマンです(#^.^#)
今回は明治4年~明治12年頃まで、
和歌山市太田で焼かれていた
質の良い海外輸出用の陶器のお話です。
幕末の開国をへて明治維新を迎えると、
日本に観光に訪れる観光客が増え、
日本の質の高い工芸品が飛ぶように売れました。
田中敬忠氏紀州史談によると
その頃和歌山市太田、現在の小字城跡474番地で
海外輸出用の陶器を焼いた太田焼窯元がありました。
今ではほとんどその跡はわかりませんが、住所から判断すると
太田第2公園の東側周辺で一反(田圃一枚)ぐらいの土地で
元紀州藩士の下屋敷があったところだといいます。
西南の隅に入口があり、すぐ側に仕事場が建てられ、
北側には貯水池があって、築窯はその中程にあり、横二間半
(写真はイメージです。)
縦五間ぐらいの登り窯が二基あったそうです。
(出土資料にみる太田焼 角谷江津子氏参照)
陶芸職人は海鼠釉(なまこゆう)の製品に卓越した宮井左十郎と
海鼠釉(なまこゆう)は海鼠の体のように
マダラ文様が美しく表現される手法です。
紀州男山焼の窯から移った名工政吉
に数名のスタッフが加わって始められました。
明治6年、(1873年)旧紀州藩士堀内信が神戸に滞在中
イギリス人貿易商デヤスが紀州偕楽園焼に似た太田焼の優秀さを伝え、是非貿易品として扱いたいという事になり、太田焼は
輸出品として選ばれることになりました。
徳川家お庭焼き
偕楽園焼きは江戸時代十代紀州藩主徳川治宝が
別邸西浜御殿のお庭(偕楽園)に窯を作り作らせたもの。
明るいブルーの色が美しく味わいのある焼き物
太田焼はその偕楽園焼の再興を目指してつくられたもので
物化堂と陶器の裏に刻印され輸出されました。
その他、交趾(こうち)とよばれる、東南アジア系の
青緑色と紫色の焼き物もあったそうです。
残念ながら太田焼は、その後偽物が多数出回ったことから
明治12年頃には閉鎖を余儀なくされました。
製作年数が短く、海外輸出専門品だったためか
日本にはほどんど残っていないそうです。
特筆すべきは和歌山市立博物館研究紀要15出土資料
にみる太田焼 角谷
津子氏によると
Edward Sylvester Morse
エドワード・シルヴェスター・モース
アメリカ人動物学者、人類学者であり
大森貝塚を発見し、日本の人類学、考古学の基礎を築いた人
E・S・モースはまた陶器の収集家、研究者でもあり
明治初期関西へ訪れたとき太田焼を収集したそうです。
彼の著書「日本陶器目録」には太田焼のことが
詳しく書かれ、器の正確なスケッチも残されていて
当時の太田焼を知ることができるようです。
今の和歌山市太田はどこにでもある地方の町ですが
この町で世界へ輸出するほどの優れた陶芸品が
作られていたとは驚きです。
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