「疲れが取れない…」と思ったときに試してみたい3つの妄言

「疲れが取れない…」と思ったときに試してみたい3つの妄言

妄言で学ぶ量子力学

ダンナが、ハタキのかけ方を覚えました…!

自分のやり方では、ちっとも埃がとれてないことに気付いたようです。
ハタキかけるのも月に2回くらいしかやらないですけどね。
あれだけ「自分でやる」って言ってたのに。
でも、やって当然だと思ってるから、誉めません。
「夫は誉めて伸ばす」説、大嫌いなので。
自分でも言っちゃう男性いるじゃないですか。
「注意されたらやる気なくす」とか、
「ちゃんと認めてくれたらやる気が出る」とか。
うちはがっつりそのパターンなんですけど。
何でいい大人なのに誉めてもらおうとしてるんだ?って話ですよ。
夫を誉めて、手の平で転がすのがいい妻なんだとしたら、
いい妻にならなくても結構。
そういえば結婚前、ダンナに「どんな夫婦になりたい?」と聞かれたことがありました。
私はその時、
「自分は甘えたがりだから、頼りたいし甘えたい」
と答えました。
そしたら
「俺はそういうのやだな。同じ立場で並んで歩きたい」
みたいなことを言ったんですよ。
でも結婚してみたら、甘えてくるのは向こうでしたね…( ´△`)
甘えられたら、こっちから甘えることはできなくなっちゃうし、
頼れる人でもないなというのが分かってきて、
それでも向こうは威張るし、自分をもっと立てろと言うし…
結婚前の理想とか、ただの妄言だったなと、今はしみじみ思います。

妄言を知ることで売り上げが2倍になった人の話

MOOSIC LAB2018にて上映中、『普通は走り出す』をご観賞下さいました皆様より沢山のご批評、ご感想が届いておりますのでご紹介させていただきます。

一部作品内容に触れているものもありますので映画未見の方はご注意のうえお読みください。

『普通は走り出す』、次回上映は12月13日(木) 18:20より

劇場はアップリンク渋谷になります。

上映は残り2回。

引き続き最後まで宜しくお願い致します。

トリプルファイヤー×大田原愚豚舎

【 MOOSIC LAB 2018『普通は走り出す』上映スケジュール】

■12月13日(木) 18:20~UP LINK渋谷 

■12月14日(金) 21:10~新宿K’s cinema 

以下、皆様より届いたご批評、ご感想。

和製ジム・ジャームッシュによる和製『8 1/2』とでも言いましょうか。
固定のワイドショットと車内ショットが織りなす絶妙なテンポ。
平凡な日常とはいささか不釣り合いな雄司さんの素晴らしい音楽が生み出す非日常性。
新作を出すたびに磨かれていくコメディセンス。
今作は特に肩の力が抜けて自由にやっているように感じた。
なんとも贅沢な女優遣いもそう。憎たらしい。いい意味で。
やはり渡辺監督は日本において作家性が確立している稀有な監督だ。

なんていう虫唾が走るような御託はブチ捨ててめちゃくちゃ面白いのだから次回作を楽しみに待っています。

11月30日のわたし、の、中身、

ボヘミアン・ラプソディ 

ボヘミアン・ラプソディ 

ボヘミアン・ラプソディ

12月3日現在、の、わたしの、中身、 

普通は走り出す 

普通は走り出す 

普通は走り出す

もう4日現在だった。 

やっぱり、映画は、すごい、いや、すごくなくても、好きだ。

好きだ。好きなんだ。くそう。 

ありがとう。

『普通は走り出す』 めっちゃ面白い。

でも面白いって感想ともまた違う気がする。

冒頭の序曲から好奇心。なんなんだこれは。なんか漲る。漲る。 

ああ映画ってなんなんだろう。 

トリプルファイヤー強烈に残る。 

おばあちゃんも素敵です。

MOOSIC LAB2018 Jプログラム 長編『普通は走り出す』 大田原愚豚舎の作品もトリプルファイヤーも初めてでしたが、もう一回ムーラボを焼け野原にするくらいのインパクト強しな作品でした。 個人的には、この映画において、黒崎さんのニュートラルな天使っぷりがじわりとツボった。

『普通は走り出す』 期待どおり めちゃくちゃおもしろかった。説明しようがないんだけど、そこもとても映画らしい映画。

 構図、セリフ、音、音楽。 都内 今後は 12/13 と 12/14。

「映画になっている」という説明しづらい特徴が、自分が好きな映画の基準。 出席することだけが得意な学生が書いた、きちんとしているようで全く何も提案していないつまらないレポートのような映像には興味ないな。

『少女邂逅』や『普通は走り出す』や『地球はお祭り騒ぎ』は、だから好き。

「恐怖の報酬」 「MOOSIC LAB 2018 普通は走り出す」 ハシゴ。 

約1年ぶり プールサイドマン以来の渡辺監督作品。普通は走り出す。 

もう、好き。 大好き。 地球はお祭り騒ぎを観れなかったのが悔やまれる。

渡辺監督の自虐であり、自問自答であり、映画世界への声明文のような映画。

皆が普通 走り出しているところ、映画を撮っている渡辺監督の映画を、皆は観なくてはいけない。

突き刺さったし、背筋が凍った。

ムージックラボの作品を観るときは、どうmovieとmusicが競演しているかに注目しながら観てるんだけど、渡辺紘文監督×トリプルファイヤー『普通は走り出す』は、こういうMOOSICが観たかった!っていうくらい良いコラボだった。

トリプルファイヤーの音楽と渡辺監督作品の親和性もあるだろうけど、監督がアーティストの世界観をちゃんと咀嚼して飲み込んで血肉にすればアーティスト本人を出さなくても別次元のケミストリーが生まれていくっていう好例。

けど、これはわたしが渡辺監督もトリプルファイヤーも超ファンだからなのかもなとも思う。どちらも知らない人はどう観るのか。今泉監督美味しい。

ムーラボJプログラム 『デッドバケーション』結構好きな物語だった。ザ・ムーラボ的映画の良作だった! んで、『普通は走り出す』で俺はボコボコにぶん殴られた!何だこれ凄え。作り手側にいる分ダメージがデカかった。そしてなんと太々しいジワ系映画だこと。なんかもう、大嫌いで大好き!悔しい!

『普通は走り出す』観る人が観たら超重い映画なんだけど、結構な頻度で笑わせてくるし、なんかムカつく。最高!

「普通は走り出す」 アナーキーでサイケデリックな映画でした!めっちゃ良かった!

ドアタマから好きな構成で音楽×映画なら一曲丸々集中して聴きたいなーと思ってたトコロに最適な表現で嬉しかった!

美しき青きドナウが流れたりトリプルファイヤー以外の劇伴も良かったです

構図も素晴らしくて、イチバン映画的な映画で。その中で映画を考える。そんな禅問答が好きでジワジワと見入ってしまいました

滑稽だけど真剣に喜劇に描いてくれたのも嬉しかったなー 

男はつらいよシリーズ観たいな

音楽×映画の祭典MOOSIC LAB デッドバケーション 鑑賞。 歌を信頼しているのが凄く良かった。声と歌詞とメロディの良さが押し付けがましくなく伝わる。 それは 普通は走り出すのトリプルファイヤーも同じ。 ファンになりそう。 中一からやり直したい〜♫ (でも中一からやり直せないもんなぁ…)

映画『普通は走り出す』トリプルファイヤーの曲初めて聴いたけど大田原愚豚舎の映像と合うね。監督の演技も同じように台詞を繰り返すのが似てる。おばあちゃんかわいらしい。願わくは某雑誌の人の目に耳に届きませんように。

『普通は走り出す』再び。やっぱり面白いわ。特に「炎上」の章はまるで落語みたいだ。一瞬振り返る人が企画プロデューサーの直井さんに見えたけど違うのかな?

何だこれ!凄え!

超攻撃的なコメディー映画?

未体験のゾーンに突入した感じ

笑って笑って最後は脳天ブチ抜かれた

観てきた!なんとも不思議な映画だった

トリプルファイヤー、主題歌だけかと思いきや計5曲も使われていたよ

ムーラボ「普通は走り出す」。渡辺監督の自虐と自問の映画。手法は健在だけど、「七日」から比べれば、随分と変化を入れてきたなー。 長回しがなかったのは残念だが、ただただ愚痴や不満を言ってるだけなのに、なぜ面白いんだろう。

「普通は走り出す」、大田原作品では珍しく出演者が多い。お気に入りは女医さんです。「適度な運動と、食生活を見直さないと。今のままでは、死んじゃいますよ?」と厳しい事を言われて怒られたい。

渡辺監督演じる渡辺監督のクズっぷりが痛々しくて最高!

トリプルファイヤーの音楽が世界観にハマり過ぎだし、萩原みのりさん、松本まりかさん、古賀哉子さん、ほのかさんたち豪華すぎる女優陣もステキ!メッチャ笑った!

Jプログラム「普通は走り出す」。中1からやり直してもフランスに生まれても変わらなかったであろうクz…しょうもない映画監督が少しだけ足を進めた話。しょうもない人の発言としょうもなさを語る歌詞を聞かせられてるのに、どこか他人事じゃないようなざわめきが少しだけ生じ…ませんでしたかね?

ムーラボ Jプロ『普通は走り出す』小山で後ろの音が聞こえなくて、K’sの前方席で観ても・・トリプルファイヤーの音源と同条件で受けて立ったかのようにも思え。前々から車中のシーンどうやって撮るのかと思ってて、今回ようやく変かもだぞと。 編集の手が変わると違うのだな。

女優陣は1人1日ずつ大田原で撮影だそうで。これまで同様コーヒーのおかわりも連続で撮ったんだろうなぁと想像。小山はトークも長めで終わってから監督と話せたし、ライブも行き情報入った2回目なので落ち着いて観た。やはり傑作であるようだ。キネマ句報も確認できました笑

音楽×映画の祭典 [MOOSIC LABO(ムージック・ラボ)2018] の中の一本『普通は走り出す』。
映画監督渡辺紘文とロックバンドのトリプルファイヤーの組み合わせ。

どちらのことも知らなかったのですが、両方好きになりました。

両者の魅力を伝えられたということで
MOOSIC LABOの作品としは成功なんだと思います。

****

映画としたはかなり破天荒な作りなのですが、
実はちゃんとトリプルファイヤーの楽曲と映画のストーリーとテーマが合致していて、
普通にこういう映画として正しい結果を出せる監督なんだな、という点で驚きました。。

トリプルファイヤーの楽曲『中一からやり直したい』『今日は寝るのが一番よかった』が、とてもとても素晴らしい歌なわけですが、
それがバッチリ映画と合っている。

***

渡辺紘文監督が自ら主演俳優としてノリノリで出てきてるわけですが、
助手席で1人で喋ってるシーンが忘れられないですね。。

多分本当に普段から思ってることを、
瞳に一切の曇りなく
スラスラと喋り続けるわけですが、

それが本当に内容が薄い。。
おんなじこと何回も言う。。

しかも全く瞳に淀みがない。。

「コイツなんなんだろう…」と精神分析するような気持ちで凝視しました。。

こういう奴いるいるーとも思うし、こういうのが一番やばいんだよな、、とも。

****

美人女優松本まりかとお医者さんごっこしたかったから撮りましたみたいなシーンがあるんですが、
映画を撮る理由として「松本まりかとお医者さんごっこしたいからです」ってのはとても正当な理由ですよ。

〝女医に扮した松本まりかに「三食栄養があるもの食べてください」と冷たく叱られてみたい〟

十分すぎる映画の動機。

***

渡辺監督演じる主人公は、かなりのファッキンクズ野郎。
だけど同時にキュートでもある。

映画もだらだらと長くてナルチシズムの連続。。

でも、冒頭の件について。

本当は渡辺監督はうまい映画を撮れる人なんだと思う。
真っ当な映画を撮る技術は十分にある人なんだと思う。

***

他の作品を観ていないので
どういうことでこういう映画になったのかはわかりません。

トリプルファイヤーの楽曲に合わせた、だけではないと思います。
渡辺監督の特性が思いっきり出てるとは思うんですが。

***

謎のシーンがあって、

監督がプロデューサーか誰かに原稿を送信する前に
「これから誤字脱字を直してから原稿送りますね。今日中には送りますんで。」
っていう電話をするんです。

普通の人間は誤字脱字を直して原稿を送信してから「原稿送りましたんで」って電話するんですよ。

誤字脱字直す前に電話しないですよ。。

こういうシーンがうまいな〜〜〜と本当に感心しました。

『普通は走り出す』終わらない夏休み地獄。止まらない悪態。願うは他人の不幸。時折出てくる女優陣は天使か菩薩に違いない。西遊記の掌の話を思い出した。制作費を苦心する場面は馬鹿馬鹿しくもなぜか胸が詰まる思いをした。加藤才紀子さんの名前を見つけてがんばろうと思った。がんばって良かった。

『普通は走り出す』を観た帰り、電車で座ってる
のが苦しくなったけど、実はタイトルはそういう意味ではない。トリプルファイヤーの世界観を映画で表現するうえで、要素の抽出とモチーフ化というか、映画にしかできない部分をメインに据えている感じがすごくうまいな、と思った。

冴えない主人公と対照的に、出てくる女優さんがみんな狙いすましたように魅力的。映像の倦怠感も吹き飛ぶ。

今年のMOOSIC LAB、これだけでも観れてよかった!

渡辺紘文監督の映画「普通は走り出す」鑑賞。

当日券でふらっと行ったけど、私が買ったのは何気に最後の一枚だったっぽい(定員84名とかいてあった!)

トリプルファイヤーの曲との親和性がすごい。

基本、人間味ありまくりの主人公が気ままに生きてるだけって感じなんだけど、途中で心臓鷲掴みにされるような独特の演出もあり、よかったです。

ミニシアターはいいよねえ…

オススメ!!!めっちゃ面白い!!!

あー、おもしろかった!
大田原愚豚舎の新作、ムーラボで観ました。
新宿K’s cinemaで。あと4回です。

普通は走り出す、観完了。
渡辺監督とトリプルファイヤー、予想通りの混ぜるな危険案件で、全編に次やったら殴るマインドが溢れ超絶ウザくて最高。
白黒固定画面と楽曲の相性の良さ。
普通は走り出す、ってのは俺は普通じゃないから走らないぜとかではなく普通に走るんだけどそれはそれが普通だから。

記録
『デッドバケーション』
『普通は走り出す』見た
どっちも良かった
特に『普通は走り出す』
主人公、
超一級のみっともなさ
いいね~w 腹立つ~w
くだらない話を延々とする感じ
高校生くらいの時に
背伸びして見てた映画が

記憶によみがえった

大田原愚豚舎最新作「普通は走り出す」を試写で見た。最高に面白かったほんとに面白かった。まさか大田原愚豚舎版「8 1/2」(スターダストメモリーとも言える)を目撃することになるとは。笑えるし痛いし笑える。

昨日、試写で見させていただいたトリプルファイヤー×渡辺紘文監督最新作「普通は走り出す」全然普通じゃないからもちろん走り出さない映画だった。試写に来ていたある方が「8 1/2だね」と言っていたけど、本当に渡辺版はっかにぶんのいち。映画をつくることに真摯に向き合わないと到達できない地平。

 トリプルファイヤー×渡辺紘文監督最新作「普通は走り出す」試写で最前列で笑いまくってたら、上映後、「すごい笑ってましたね、今泉さんだけ」って知り合いの女優さんに言われた。そういう映画なのかもしれません。

先日、試写にて渡辺紘文監督『普通は走り出す』。いつもの渡辺監督作品であり、いつもの渡辺監督作品ではない傑作。僕もまた、濁流に呑み込まれそうになり苦しみながら、飄々と映画を作り続けるぞ。

J「普通は走り出す」新宿は長回しでさえ繰り返し。大田原でも日常が繰り返す。蝉の声がついてくる恐怖。クズな監督とリアクションしない人々、怒れる女達。女優の顔が認知できない贅沢。からのインタビュー。監督は女性に何かトラウマがあるのか。トリプルファイヤーも監督もアクが強い
改めて文章を読むと何故か悪口に見えてしまうんですが、とてもおススメです!笑 

大傑作「プールサイドマン」からの渡辺氏並びに大田原愚豚舎チームの大ファンである自分としては待ちわびた新作。
初回上映ともあり、会場には邦画インディ業界らしき人々や役者さん(個人的には大ファンのあの方も発見)もそこら中にちらほら。笑。
作品も兎に角独特の渡辺節炸裂で、危険案件連発の如く、繰り広げられる自虐ネタオンパレードのほぼ完全1人芝居、プラス美人女優陣の無駄遣い感がハンパなく最高で、案の定爆笑の連続!!!
メジャー邦画には出せないこの化学調味料的な風味がたまりません。
特に中盤のインタビューシーンが秀逸で完全にアナザーワールドへ持って行かれました。。。こんなに一般的にはある意味危険で毒のあるシュールなテーマをいとも簡単に笑いへ変えてしまう手腕は流石!の一言。
トリプルファイヤーの楽曲も良いが、雄司氏のスコアが素晴らしい。
インディペンデントスピリッツ溢れる快作!

「普通は走り出す」

評判目耳にする機会度々あった大田原愚豚舎作品初体験。見たもの言葉で説明していけば眠気誘い気味なアート映画、になっちゃうかもだけど何だコレ?!な魅惑のオリジナル作品。
映画創りに苦悩し周囲に毒づきまくる男のショッパい日常生態を繰り返し描き重ねるうちに感動、いや感動とはまた違う奇妙な感情が笑いと共に溢れ出してくる。
ドメスティックだけどワールド感。ザリガニ蠢く小さな溜まりだけど底無沼の…つまりはとてもとても面白かったのです!
萩原みのりさん松本まりかさん古賀哉子さんほのかさん永井ちひろさん加藤才紀子さん…美人女優との“贅沢過ぎる”コラボもGood(笑)
こういう垣根超えた(?)組み合わせ双方にとって刺激的だし突破口の一つかも。
「書くが、まま」「普通は走り出す」はそれぞれ2018年度日本映画暫定ベストの1本です。

昨日 #MOOSICLAB2018 『普通は走り出す』観た。
トリプルファイヤーを聴いて私は自分の悩みが何か認識したので、痛いし、他人事じゃないが暗くなくて笑えて面白かった。
痛い主人公と関わる女性達のリアリティも良かった。音とモノクロで絶妙にスマートにも見える映像。あれカラーだったらよりキツイか笑

『普通は走り出す』ではトリプルファイヤーの音楽自体が一つの作品として完結していると言うMOOSIC LAB の根源に切り込む台詞があって、めっちゃ興奮したんだけど、酔っぱらったので、もう寝ます。
今日は寝るのが1番良かった(酔っぱらいの妄言)

『普通は走り出す』、何度も繰り返し映し出される変わらない日常シーンにさざ波が立つかのごとくおかしみや悲しみや不穏さが浮き上がる、そんな渡辺監督の十八番とともいえる演出が炸裂しているそれだけで嬉しかった。
今回、私が目撃した大田原は現実世界の大田原と言うよりは監督の心象風景として存在している大田原という印象がとても強い。
だから後半に挿入される悪夢的なシーン(『プールサイドマン』の芋洗いの画もそうだけど、渡辺監督はコラージュの才能があると思う)にも違和感を感じなかったし、(冬のシーンがあるにもかかわらず)好きなときにザリガニ釣りが出来ていつでも蝉時雨が聞こえるエンドレス・サマーな幻想世界に迷い込んだ
分になった。
監督は映画を創るとき、少年時代の夏テンションに自分自身をアゲて映画を作っているのかな?なんて勝手に妄想したりしています、いま。
あと、個人的に監督の頭の中の景色を観ている気持になっていたから、映画制作に(全くと言っていいほど)奔走しない監督の姿から醸し出されるユーモアを視覚的に捉えると同時に、映画制作の際に生じる苦痛に近い葛藤を心情的に感じ取ることが出来たかも。
更には、その頭の中の世界が問いというカタチをとって銀幕のこt(興奮w)。長くなりすぎたのでこの辺でやめときます。愉しかった。

渡辺紘文「普通は走り出す」を観てきました。
トリプルファイヤーの曲が新旧曲織り混ぜてかなり効果的に使われているのですが、改めて吉田が主義主張してることってずっと一貫してるんだなと思い、そのエッセンスをうまくテーマに結びつけてる映画だなと。
でも不思議と嫌な感じはしない。
個人的にはトリプルファイヤーの曲が映画館の音響で聴けるだけでも元取れた感あったし、エンドロールはそのままMVにできそうな感じありました。
あとMOOSIC LABの公式ガイドを劇場で買ったら映画の紹介文を増本さんが書いてらしたので、増本ファンは要チェックだと思います。

同プロ渡辺紘文監督『普通は走り出す』私は故郷栃木にあまり馴染めず今に見てろよぶすくれ精神でやってきたのにこんな見せられっちゃしゃあんめって事でめちゃ笑ったしザワついた。
同郷だから笑える感覚もあってぐふふ嬉しい??でれすけなのにcool!

「普通は走り出す」を観ながら脳裏によぎったのは何故か「ウルフなシッシー」の大野監督  (個人的な思いなので深読みしないで下さいね)
白黒映画の雰囲気も良かったと思います。 ドキュメンタリータッチで時々過激な発言もあり、笑いあり。且つパワーヒッター。心のダメージ大。好き。

今日ムーラボJプロ初日を見させていただいたのですが、すげぇよかったです。あの校舎のシーンは控えめに言ってもヤバい

MOOSIC LABであろうと渡辺紘文は渡辺紘文。

インタビューパートにもはや爽快感すら覚える。

もはやムーラボとは?????
わかんない。わかんないけど面白かった。

MOOSIC LAB 2018
「普通は走り出す」
観てきたよ
白黒映画観たの初めてかも!??

感想としては
…なんか渡辺監督の頭の中をそのまま覗いた感じがした笑

次観たらどう感じるか気になる映画
ウエイター役、お疲れ様?

「普通は走り出す」渡辺監督が退路を断つ、人生で一回しか繰り出せないネタを出してきたのは意外。
金なら出そうじゃないか!と思わず言ってしまいそうな映画。
予算あっても、女優との距離感に戸惑いを感じるあたりも可笑しい。
ムーラボでは異色の一本だけど、渡辺監督作としては見やすい。オススメ。

待ちに待った渡辺紘文監督『普通は走り出す』鑑賞。

今回のムーラボでとにもかくにもいちばん観たかった作品。

いやー、面白かった。笑った。過去作から脈々と受け継がれているものにニヤニヤ。

渡辺監督の怒涛のボヤキに溜飲を下げる人は結構いるはず。

トリプルファイヤーの音カッコいい!

『普通は走り出す』は映画が好きで好きでたまらない映画監督が映画を相手に戦わす痴話喧嘩のような映画だ。なぜか特によいと思ったのは手紙のシーン。

普通は走り出す、感想を我が物顔でつらつら呟いたりしたら監督にぶっ飛ばされそうなのでやめておきます。笑

ムーラボ
Jプロ
出演しました「普通は走り出す」開幕しました??笑い声が聞こえて嬉しかったです。
試写から25分もカットされた100分版ですが、とても面白かった…
普遍性を感じる喜劇です。
ひとの苦悩は笑える。雄司さんの音楽が、かなり好きです。
観てほしい。

そういえば昨日ムーラボで観た「普通は走り出す」急に今泉監督が燃やされていて、不覚にも笑ってしまった。

美人女優のオンパレード

観た!こりゃ、問題作だ。
『お嬢ちゃん』みのりさん、永井さん!!

普通は走り出す 
監督渡辺紘文さんの愚痴をひたすら聞きながら笑っていただけなのに気付くとラストの「ライ麦畑」ならぬ田んぼの畦道へ迷い込んでいました。
美人女優の無駄遣いとか(叱り付けてるだけ)あり得ないものを堪能しました(笑)ってか、ハネケかよ(笑)…意味不の感想ですみません。

Jプログラム或いは救うこと救われることまたそれに拠って救うことを始める作品群。
今までに感じたことのないことを感じた…流石のラインナップです。

監督さんが思いっきり楽しんでるシュール?な作品

モノクロ作品なのも、いい味を出してました。
素直に面白かった。

哉子ちゃんは、喫茶店のウエイトレス役。出番多くてよかった。
なんか癒されるよね。

映画「普通は走り出す」
初日観賞して参りました。

作品の感想は長くなりそうなのでとりあえず......

とにかく、
「コーヒーおかわりいかがですか~?」
「かしこまりました~」
「ごゆっくりどうぞ~」
に、ただただ癒された~??
哉子ちゃん素敵でしたよ??????

小山シネマハーヴェストにて『普通は走り出す』鑑賞。
これはまずい、突きつけて来た、突きつけられている・・過去作知らないとシュールな意味なし場面も愚豚舎ファンにはウケ所。でも解りやすそう。観れてよかった。
空いてるし作り手側は客席に。こっち来てよかった。面白いよ!

『普通は走り出す』K’s上映は観たい。
小道具が脳内で別物に変換されるのが私の愚豚舎あるあるなので早めに観たいというのもある。
音楽はトリプルファイヤーが良いのは勿論、雄司さんパートが良い。
盛り盛りの日常音のことではなく、K’sの音響が意識されてる?と思うような曲が。

『七日』『プールサイドマン』『地球はお祭り騒ぎ』の渡辺紘文監督による最新作!

『七日』~『地球はお祭り騒ぎ』までの3作で、『パターソン』がファンタジーに見えるレベルで、本当に何も起こらない「日常」を徹底的に描いた渡辺紘文。昨年の秋に新宿武蔵野館で『七日』を初めて観た時は、「何じゃこりゃ!?」と本気で思ったけど、その後に『プールサイドマン』『地球はお祭り騒ぎ』と重ねて観ていく内に、「何も起こらない世界」にすっかり魅了されてしまった。(ちなみに、その「何も起こらない日常」の極みとも言える『七日』は、昨年の私の年間ベスト10の1本に
なりました。)
そんな渡辺紘文監督の最新作を、観ない選択肢は皆無で、今作も迷わず鑑賞!MOOSICLAB2018の中で、何故か今作が上映されるJプログラムは平日しか上映がない(他のA~Iプログラムは、1回は休日か祝日の上映があるのに!)というスケジューリングだったけど、そんなことも何のその。半休を取って初日に早速鑑賞。

今作は新作の脚本が書けなくなった映画監督の物語。この主人公を渡辺紘文が演じ、主人公が依頼されてる新作は今作というメタ構造の映画だ。そして、MOOSICLAB案件ということで、トリプルファイヤーの音楽が適宜挿入される。
ただ、本編はメタ構造も音楽もほぼ無関係。渡辺紘文がいつも通り作家性を全開にして、独自の世界を展開する魅惑の1本だった!

『七日』~『地球はお祭り騒ぎ』までの「日常の繰り返し描写」は控えめにしつつも、『プールサイドマン』や『地球はお祭り騒ぎ』で見せてきた、「渡辺紘文の車内独演会」は今回も健在。しかも今回は役処が映画監督ということもあり、映画業界や観客に向けたメッセージ(愚痴)がダイレクトに伝わってくる。何処までが「台詞」で、何処までが監督の「本音」なのか分からない。そんな現実と虚構の境界線を探るだけで、もう面白い(嫌いな人は心底嫌いになるとは思うけど)。

そして、監督の「愚痴」はやがて単なる愚痴に終始せず、観客に向けて「お前はどうなんだ?」と問いかける刃へと変貌する。この後半のシークエンスを、渡辺紘文は『プールサイドマン』を想起させる独創的な描き方で見せていて巧い。個人的にはグサリと来る部分も多く、すっかりノックアウトされてしまった。

ただ、渡辺紘文は単に観客へ刃を向けるだけでなく、その後のフォローもしっかり行っている。ラストで日常に潜む怠惰や欲望など、その全てを肯定してみせる人生讃歌へと着地するのだ。これはまさに『七日』から『地球はお祭り騒ぎ』までの3作で、「些細な日常」とその先にある「闇」と「光」を描いてきた渡辺紘文だからこそ成せる技だろう。ストーリー的な結び付きは弱いけれど、確かに『七日』以降の系譜にある渡辺紘文の映画だった。

最後に余談的な感想。
「この映画が好きなら、こういうこと言うだろう」的な台詞の組み立ての点で、監督の人間観察力は凄いと感じた。ちなみに私は、萩原みのりみたいな回答する人って良いよなぁと思いつつ、実際に自分が同じ質問をされたら、加藤才紀子のような回答をするであろう人間です。

知的好奇心を満たすには充分過ぎる映画体験でした。オススメはしたいけれど、渡辺紘文の過去作を観てないとキツいかも!

『普通は走り出す』 何これwww、と何を観せられているのか考えている内に渡辺監督の世界に引きずり込まれた感じ。 最後は不思議と好感を持って観ていた自分がいた。 無駄(笑)に女優陣が豪華でお綺麗なのもツボ(笑) あとおばあちゃん長生きして下さい。

「普通は走り出す」(渡辺紘文監督×トリプルファイヤー)は超・挑戦的な映画! どう感じるかはあなた次第。こんな機会がないと、見られないかも。

今日はK’s cinemaでMOOSIC LAB 2018 Jプログラム 短編映画「デッドバケーション」と 「普通は走り出す」を見て来たー。映画監督の怠惰な日常が延々と繰り広げられる「普通は走り出す」、これは人を選ぶ作品だろうけど自分は意外とイケた。舞台挨拶が無くてちょっと残念

映画「普通は走り出す」2回目の観賞! 映画の途中から、監督演じる主役と自分が重なって見えて、「文句を言って人のせいにして、悪いと気付いてもスタイルは変えられない」自分にもそんな一面があるなぁ~と感じた。 そんな中で哉子ちゃんの場面は本当に「コーヒーブレイク」になってたよ!

普通は走り出すは監督の体たらくぶりに感じたものが自分にブーメランとしてささりまくった。

観て来たよー。私自身のすぐとなりに彼がいる気がして、面白いんだけどうまく笑えなくて苦しかった。でも、観終わって思うのは、「好き」と「またあした」そんな映画でした。観て良かった。すっごく。

普通は走り出す 笑い声とか出しちゃ駄目なのかな と 周囲をうかがったり クラウドのくだりとか 永井ちひろさんの あのやりとり 好きだった

「普通は走り出す」 今泉監督が 一番最後に 燃えてた

同時上映の長編「普通は走り出す」初見でした。トリプルファイヤーと”同じ態度”をした映画というか、パンクでハードコアでした。非常に面白かったです。

渡辺紘文監督『普通は走り出す』がドドドンとツボでした!超・面白い!!監督作は『そして泥船はゆく』しか観てませんでしたが、ほか全部スクリーンで観たくなりました。あとドラクエⅤやってて良かったのと、明日の歯医者の予約思い出しました。何なのこれって、まさかのMOOSIC LAB作品です。

『普通は走り出す』観て、面白いって何?な状態です。でも声出して笑いました。そして悲しく?なりました。今泉力哉監督が燃やされてました。出演女優が豪華!だけど、アップないからスクリーンで観ないと!そんなエンターテイメント!!(と思います)ほか監督作、今まで観てないですいません!!

渡辺紘文監督『普通は走り出す』を観て、ドラクエⅤでの結婚について改めて考えさせられました。最初にプレイした時は、フローラを選びましたが、今じゃビアンカですね。とってもとっても考えさせられた作品でした。

渡辺紘文監督『普通は走り出す』のアリとキリギリス論を考える。これはとても重要。

渡辺紘文監督『普通は走り出す』健康第一。

渡辺紘文監督『普通は走り出す』映画って…長澤まさみ?

その後、繰り返される日常を考えると、『普通は走り出す』の冒頭のドラクエⅤの話は映画そのものを説明している。それはさすがに考え過ぎでしょうか…延々と繰り返すロールプレイングゲーム。それを日々やり続けたら。またしかしそんなゲームでさえある、究極の選択。そうでもそうでなくても面白い。

渡辺紘文監督『普通は走り出す』知らない方に勝手に補足。ドラクエⅤの結婚とは、主人公(プレ
イヤー)が、幼馴染のビアンカか、お金持ち且つ強いフローラか、どちらと結婚するか選ぶというイベントで、もちろんどっちかとしか結婚できません!

『普通は走り出す』を観た。まさかの『松永天馬殺人事件』以上の問題作きた。監督自身が本人役として登場し、当ムーラボ出品作を製作する過程そのものを真偽入り混じるメタフィクションとして映画化した、という点で共通する両作を並べてみると各々の特色がより克明に浮かび、深い理解に導いてくれる。

『松永天馬殺人事件』は描き方こそ歪曲的でリアルを超越してる一方、それも含め映画製作に対して徹底的な理想主義を貫き通す作品。『普通は走り出す』はフェイクドキュメント的なほど直接的でリアリティに徹した描写を採用しながら、映画への理想主義を永遠裏切り続ける先で映画製作の真価を問う一本。

『普通は走り出す』ムーラボ出品作を製作しなくちゃいけないのに、呑気に怠惰な毎日を謳歌する渡辺監督の毎日を、ホン・サンスを彷彿させるタッチで追いかけたオフビートコメディ。ファンから警告の手紙を受けてダメっぷりが増していく中盤以降の抜群の面白さと衝撃のクライマックスに完全にやられた。

『普通は走り出す』中盤までは、まさかこれで100分繋げる気なのかという懐疑心を持ちながら見てたけど、リアリティはそのままに可笑しさを増していった後半はすっかりその面白さの虜になったし、少しずつ魅力的な予兆を見せながら、やがて異次元の映画へと大変貌を遂げるクライマックスで完全に降参。

『普通は走り出す』女優陣の使い方が本当に贅沢。カフェ店員や図書館の事務員、医師、映画館スタッフといった、監督の生活の身近にいるけど長く会話する程でもない存在に、綺麗で可憐な女優達を多用する一方、クローズアップでは映さずにあくまで一般人扱いに徹する。でもそれが逆にキュンときちゃう。

『普通は走り出す』映画の製作が遅れるのと比例してダメっぷりを増していく監督が、その極め付けに毎日行く先々で小学生以下の失態を連発し、美人女優たち演じる一般社会人たちから激怒されるシーンが、尊敬できる可愛い女性に本気で怒られたいという隠れ願望を抱く私の夢を間接的に叶えてくれすぎた。

『普通は走り出す』監督が度々吐き出す映画業界批判は『松永天馬殺人事件』で登場するそれの比じゃない率直さと具体性で、クラウドファンディングに映画批評家、終いにはムーラボのコンセプトも批判し出して大笑いだけど、映画ファンから自分宛の苦情レターを介した有名映画監督批判が特に最高だった。

MOOSIC LAB『普通は走り出す』 渡辺紘文監督により渡辺紘文監督役が演じられている事で現実とフィクションの境界は曖昧になりその違いは消えて行く 台詞であって台詞ではなく役柄であって役柄ではないこの構造は、現実と映画は分裂した物ではなく地続きであると教えてくれる 映画の本質を炙り出す傑作

MOOSIC LAB『普通は走り出す』 映画の誕生以後映画を志す者に追求されてきた「映画とは何か」「何の為に映画を作るのか」という問いは、100歳を超えるおばあちゃんがまさに明らかにしてくれる おばあちゃんが言うように映画とは好きな物であり、好きだからこそ人は苦しくとも映画を作り続けるのだろう

MOOSIC LAB『普通は走り出す』観る 用水路で釣った後、主人公渡辺紘文監督の元で飼われているザリガニは、まるで映画作りそのものの比喩のようでもある 捕まえるのは簡単でも、ドブ臭く共食いをし飼い主に懐かないザリガニは飼育するのが大変だ 映画もまたアイディアが浮かんだとしてもそれを制作するには非常に困難が伴い、無事デビューできたとしても、映画監督を職業にするには想像を絶する苦労を重ねなければならない ただザリガニを釣って遊ぶだけではなく、わざわざ家に持ち帰り綺麗な水槽で世話をする渡辺監督の姿からは、この先何があろうとも映画を続けて行くという強い意志さえも感じさせる

冒頭監督自身がドラクエⅤのビアンカとフローラの話をするところからこの映画が只者でないことが分かる。その後も地蔵にように動かない黒崎さんやおばあちゃんの間を縫うように監督が生き生きと動く展開はRPGのよう。途中から地蔵になる市長がツボ!後半のインタビューもドラクエ的?

今回のプログラムで真に二本立てにするならこの二本(『松永天馬殺人事件』『普通は走り出す』)なんだろうな。こんな映画に関する映画、しかも尖りすぎているのが並んで出現することはめったにない。

普通は走り出すで渡辺監督作品初体験の方の感想を読むと、これは行けると感じるので、そろそろ特集上映やって欲しい。地球はお祭り騒ぎも一般公開されてないし。120分版の普通は走り出すも観たい。

125分版観たいなー

GALAXYDEADもトリプルファイヤーも最高だったなあ〜

同時上映の作品も良かったなー トリプルファイヤーすごくかっこいい

【普通は走り出す】 自堕落極まりない主人公による映画語り映画。ちょいちょい自虐ネタで笑いを誘いつつも、「映画とは?」と次々に問いかけてくる。 今も「何やこれ!?」って衝撃が残ってる。

MOOSIC LABであろうと渡辺紘文は渡辺紘文。

インタビューパートにもはや爽快感すら覚える。

もはやムーラボとは?????
わかんない。わかんないけど面白かった。

自虐を交えながら、安定の大田原愚豚舎 渡辺節。
この路線でいつまで続けられるのか!?
次回作もこの手法だと流石に「もう良い加減にして!」ってなるかもしれないよな〜…と油断しながら観進めていると、後半のインタビュー編辺りからの畳み掛け具合に悶絶。

ムーラボの中で異彩を放つと言ったら良いか。

1人飄々としている渡辺監督の作品。

トリプルファイヤーの音楽が既存のものとは思えない映画とのマッチングに驚きました。

そしてそのトリプルファイヤーを取り込みつつも渡辺ワールドという。

何か問いかけをして来る映画は下手にやるとつまらなくもなりそうだけれど、この映画はとても上手いし面白い。

そこにはやはり観る人を意識した作り手の丁寧さや編集などのセンスや才能もあるのだと。

映画館で観ないといけない映画。

女優
の贅沢使いも見もの。

一般的に言ったら映画監督なんて職業は羨ましい限り。それでも映画監督は映画監督なりの葛藤や孤独に日々苛まれているのだろうか。

アリにもキリギリスにもなれない団子虫状態の映画監督を渡辺監督自身が演じる。シナリオが頭に浮かばず、うだうだと管を巻き、ドラクエ(しかもⅤ)やザリガニ釣りをして毎日を垂れ流す、子供より子供な大人の日常。一見楽チンそうに見えて実は窒息しそうなくらい苦しい。

普通の日常から生じる焦燥感をトリプルファイヤーの歌詞とともに見事に表現。
渡辺監督の作品は初めてだったけど、シュールな映像とゆる〜い台詞がこれからクセになるかも。

妄言ジャーナル

( 疑問符 ) ( 2018.5.18. ~ 2018.6.18. 記 )
うつぎれい 関暁夫のウソ 「 やりすぎ都市伝説SS “ 人類の未来年表 ” は残り27年 」 に対する解毒剤的 公開状 頁である
 ( 1ヶ月前に録画した上の番組についてだが、この番組の大嘘とマヤカシについて一応ちゃんと誰かが総括しとかないとイケナイ。 「 信じるか信じないかはあなた次第 」 では無く、こんなに性質の悪い詭弁だらけのペテン番組を信じてたら絶対駄目である。 )

  関暁夫の嘘 「 やりすぎ都市伝説 」 への 一番詳しい批判

● この番組の構成 ・演出 ・口調は、そのまま 「 怪しげな新興宗教やマルチ商法の勧誘会場での洗脳的な話法や折伏 ( 言いくるめ ) 口調 」 と同じであることに注意しなければならない。

その解毒の為に、この番組を見直してみて気になった事を、全部ここに書いておくことにする。
文章全体としての纏まりについては一切考えないことにする。
そんな処にまで気を使ってる時間はないのでどうか悪しからず。

特に重大なのは、この番組のエスカレートしてゆく様子の全体が、同じように聴衆や読者を煽り立てておいて、途中からどんどんガセネタ ( を吹き込まれてそれを信じ込んでのオーバートーク ) を混ぜ込み始め、やがてその話してた事のほぼ全体が 「 ウソや間違いだった 」 と聴衆にも思われ始め、そんな予言言や主張にはまるで信憑性など無いことが、実際にもどんどんバレて来て、遂には全く世の信用を失って表舞台から消えてった過去の 「 著名で露出過剰なる陰謀論者 」 たち、例えばベンジャミン・フルフォードその他の辿った経過に、まさにソックリ …という事である。

実際には、そういう経過を辿る事で、その人物が最初の頃に話していた 「 本当の真実や事実 」 までもが、それを信じ込んでいた聴衆の多くにやがてウンザリされて愛想を尽かされ、何ら信じられなくなる。
そしてその 「 話してた事の全体がウソだった 」 という ( 実は初期の主張についてだけは誤った ) 評価だけが後に残る。
そうやって、多くの人々が結局はそうした事柄の全体を完全に無視するようになるよう、に意図してその全体を画策する …という、極めて悪質な 「 デバンキングプロジェクト ( 暴露型反論計画 ) 」 の典型であるように見える点である。

そしていまのこの番組 「 やりすぎ都市伝説 」 は、完全にその 「 ガセネタ 」 期に突入しており、この下に記すように 「 一寸調べてみれば誰にでも見破られて当然の、まさしく見え見えのガセネタでの押し付けがましい強論、のオンパレード 」 となっているのである。

いま関暁夫の主張してる事は、あたかもワザと自らを信じられない人間と思わせるべく、「 デバンキングプロジェクトの最終段階の仕上げ」 に突入してる感がある。

今の関暁夫の態度を見てるとイルミナティの使徒などから 「 我々の言う通りにすれば、その日が来た時にはお前を “ 日本の王 ” にしてやる …とか、“ アジアの王 ” にしてやる 」 というような 絵に描いた餅 = 嘘のご褒美 をチラつかされて、昔々の明晰で勇敢だった関暁夫であったなら、決してそんな甘言を信じ込んだり、それに乗ったりする筈も無かった 「 極めて悪質なデバンキングプロジェクトの為の捨て駒 」 にされてしまってるように思われる。

「 もう直ぐ世界は変わるから、その時に備えてみんな待て! 」 とやってその時代の動向に疑問を感じてる筈の人々を思考停止 ・行動停止に陥らせ、腑抜けにすることと、この世界の真相や実態に関心を持っていた人々に肩透かしを喰わせてウンザリさせ、そうした事への関心を失わせてしまう、そうした悪質な計画こそはイルミナティのものだから、関暁夫 とその共謀確信犯らしき 並木慶 と 「 テレビ東京 」 の行ってるこの 放送犯罪 とでも呼べそうなものの害は決して看過出来るものではない。

これこそが、「 人類外知的生命体 ( 宇宙人 ) の人類種族への絶え間ない干渉の有る事 」 についてだけは、「 関暁夫と全く同じ見解を持ってる 」 のにも拘わらず、筆者をして以下に 「 やりすぎ都市伝説 」 と関暁夫の主張の問題点を逐一記さざるを得ない根本的な理由である。

即ち、この重大な問題に、( 分かっていながらワザとガセネタを混ぜ込んで ) オーバートークするのは、日本国民全体に取って余りにも有害なので、絶対に許しておくワケには行かないのである。

● 特に E T 問題は重大だからこそ、明確な証拠と論理のみに依って 「 米政府と NASA と米軍と JAXA と日本政府 」 のついてるウソを暴き出してゆくしか無いのである。

ガセネタをキチンと排除して論じない限り、いちばん肝心な点を信用しにくくさせ、不信感が拡がって 「 そうした事の全体を無視する社会的風潮 」 が広がってゆくからである。

それこそがイルミナティの画策する 「 デバンキングプロジェクトの目論見 ( もくろみ ) 」 だからである。

・……………………………………………………………………………………
さて、以下が 2018年5月18日に放送の 「 やりすぎ都市伝説SS “ 人類の未来年表 ” は残り 27 年 」 の問題点である。

今回の番組冒頭で、関暁夫が 「 点を投げる 」 とか言いつつ掲げたのは以下の ( 予言めかした ) 7項目だが、これらは彼が自分勝手にコジツケて寄せ集めた 「 詭弁の塊 」 でしかない。

地球は第6の時代へ
AIに市民権
生きる価値のある人間を選別
体内マイクロチップ計画
人類火星移住計画
氷河期の到来
AIが人間を超える

そしてこれに勝手な年号を入れて少しばかり言葉を足したのが以下の「トンデモ毒」だが…、

2013年 地球は第6の時代へ
2017年 AIに市民権が与えられる
2018年 生きる価値のある人間を選別の本格化
2025年 体内マイクロチップが全人類に
2026年 人類火星移住計画の実現
2030年 氷河期の到来
2045年 
Iが人間を超える

● なので、その各々の毒々しい予言には、その解毒剤となるまともな 「 注釈 」 を括り付けておく必要がある。

2013年 地球は第 6 の時代へ
 ( 最近の活動期の地球を、勝手にそう呼んで断定してるだけの話。 )

2017年 A I に市民権が与えられる
 ( あたかも A I 一般に市民権が認められたかの如く大袈裟な口調と態度でカサに掛かって語っていたが、実際に起きてるのは唯、お調子者で先っ走りの独裁国家 「 サウジアラビア 」 が、世界のウケ狙いで会話ロボットの 「 ソフィア 」 に、半ばジョークで市民権を認める …という名目の 「 スタンドプレイ 」 をした…というだけの話なので、このような名目的市民権に本来的で実質的な意味などは無いから、「 完全な詭弁 」 である。 )

2018年 生きる価値のある人間を選別の本格化
 [ 関暁夫は一体、誰の視点で 「 選別 」 を語っているのか? 表面上では A I 名目で語られてるその 「 選別 」 は、( その居丈高な口調からは ) あたかも彼自らが 「 イルミナティの代理人 」 であると錯覚してる狂人の虚大妄想言にしか聞えず、数年ほど前の ベンジャミン ・フルフォード の錯覚言と良く似てるのだが、通販最大手アリババの顧客選別管理の仕方の一部を勝手に拡大解釈してのそのような主張は、世の中の現実と自らの空想を区別出来ない 「 虚大妄想狂の妄言 」 と呼ぶしかない。 このような妄想と虚言こそが彼の詭弁の本質である。 ]

2025年 体内マイクロチップが全人類に
 [ 人間全体を支配しようとする側による強制が圧倒的な力によって可能で無い限り、関暁夫のようにお先走った奴隷根性で 「 自分の身体にマイクロチップをインプラントして何者かに支配される方が安心で便利 」  …なんて考える人間は殆ど誰も居ないだろう。

 そういう事を上っ面で言ってるのは、それを普及させて他人を支配したい側に与する、悪魔的な人間だけだろう。

 何しろ体内埋め込み型マイクロチップの機能は ( E T がテキサス州ヒューストンのデレル ・シムズ氏他のアブダクション被害者たちにインプラントして来たような、本当に人間の行動をそれで支配出来るレベルの代物を別にすれば ) 極めて限定的なものでしか無く、セキュリティは極めて緩いので、既に洗脳されてしまったお調子者を除いて、そんなモノを体内に埋め込まれることを主体的に望む者は殆ど居ないだろうからである。

 「 ワクチン接種と偽っての NWO 勢力によるインプラント強要 」 は考えられそうだが、途中で気付かれて反対運動が拡がること必至であろう。 ]

2026年 人類火星移住計画の実現
 [ 火星表面と火星周囲の軌道上には、既に人類外知的生命体 ( E T ) の厖大な拠点や都市が存在してるが明確に有り、人類の持ってる科学技術は E T 種族に対抗しうるレベルでは到底無い。 ( 追記 ; この後の 6 月 30 日に、NHK ETV で地球ドラマチック  「 火星移住計画への道 」 という奇妙な番組が放送されてたが、現実的には到底実現不能にも拘わらず、この方向性での絵空事番組が幾つも尤もらしく作られて吹聴されてる事には、「 地球温暖化の嘘 」 の吹聴と同じく、何らかの計画的なペテン意図が有ると感じざる得ない。 )  
 従って 「 人類火星移住計画 」 等は 「 E T 種族の許容範囲内での極めて限定された移住 」 以外、恐らく全く不可能だろう。  ( 上記の番組では 1 万機の宇宙船を使って 100 万人を火星に移住させる計画 …とかだったが、その時点で恐らく 80 億人を突破してる人類の殆どを置き去りにする予定の計画が、一体どうして成り立つ筈等と呑気に予想出来るのだろう? )

 これは月面や 「 火星以外の惑星や衛星 」 についても全く同じである。 
 大体が現在迄に想定されてる 「 火星の表面環境 」 に移住するよりも、「 もう直ぐ住めなくなる 」 筈のこの 「 地球環境 」 を何とか立て直し、( 「 人口爆発 」 を防ぐべく ) 既に行き過ぎてる医療行為を一切止め、悪化する地球環境に人類の大半が何とか適応して留まり続ける事の方が、火星に大挙して移住する事よりはずっと簡単だろう …とは、一寸考えてみれば誰でも直ぐに分かる事の筈である。
 依って、この 「 人類火星移住計画 」 こそは、 「 人口爆発は防げない 」 と信じ込んでる者たちの、典型的な 「 終末論 ( 宗教 ) 」 的 「 詭弁 」 の類い …に思える。
 が、余程考えの浅い人々以外、そんな話を安易に信じ込む筈も無いだろう。
 なのでこれはやはり、「 関暁夫デバンキングプロジェクト 」の総仕上げ段階なのであり、「 関暁夫のこれまで主張して来た事の全体 」 を、それで崩落させるべく 「 ガセネタ 」 そのものなのだろう。 ]

2030年 氷河期の到来
 [ 「 氷河期の到来 」 も何も、現在の地球は 「 間氷期 ( 氷河期と氷河期の間の少し暖かい時期 ) 」 であり、地球が今後再び氷河期へと突入して行くことは ( 太陽活動という兆候も既に表れているので )、全くその通りである。

 が、これは関暁夫の独自な見解ではないので、そんなことでいちいち脅される勿れ。
  ( むしろCO2による 「 地球温暖化 」 というキャンペーンの方が大嘘であるに過ぎない。 )
 来るものは来るので、慌てたり怖れたりしても無駄で、対策があればそれを実行すれば良いだけの話である。 地表の生物は進化論が本当ならこれまで何度も、本物の氷河期を乗り越えて生き延びて来たのである。 何にせよ、氷河期が来るというだけでオタオ
タと地球から逃げ出そうなどと考える連中は、勝手に地球から出て行って二度と帰って来なければ良いのだ。 ]

2045年 AIが人間を超える
 [ 現在でも既に部分的には 「 A I は人間をとっくに超えて 」 しまってる。 ( 将棋界を見よ。)

 A I の本質と、A I をどうコントロールするか? と、A I を何処まで進化させるか? は、私たち人類が今まさに 「 ちゃんと考えて対処すべきこと 」 である。
 「 受け入れるしか無い 」 というのは、「 既に誰かに洗脳されて 」 しまってるその誰かの手先と 「 人間としての主体性を失って既に諦めてしまってる腑抜けた人間 」 の敗北宣言である。
 ♪ Try Everything ! ]

● イヌイット ( エスキモー ) の主張のみを根拠にして 「 地軸のポールシフトが実際に起きて 」 る?!
 …なんていう全くの虚言をその場で見破っても呉れなかったので、これまでは何となく知的な印象を抱いてたマツコ ・デラックス、千原ジュニア、小島瑠璃子と、及び同席してた何でも簡単に信じ込み易い 的場浩司 と、それから関の確信犯的協力者であるらしい 「 やりすぎ都市伝説 」  総合演出 並木慶の計 5 人全員の、極く普通の科学的判定能力 …というか常識的知識までもを、今回は 「 完全に疑わざるを得なくなって 」 しまった。 ( 悪しからず )

● 地軸が実際にズレ始めてる …などというのは、一寸考えてみれば誰にでも即座に分かる筈の大間違い ( または簡単に見破れる筈の大ウソ ) である。

…というのは、磁極の移動の方は実際に確かに起きてるものの、本当のポールシフト = 地軸の移動 …なんてものは、( 年間で僅か10メートル程の “ 極く微かな地軸の揺動 ” …を除けば ) ハッキリと分かるようなレベルでは、今はまだ全然起きてる筈がないからである。

もしもそんな事が実際に起きているなら、天体観測で使われてる天文年鑑は今や全く役に立たず、長時間露光する天体写真で使われてる赤道儀望遠鏡や天文台の総ては、改めて設定傾度を直さなかったら既に全部が使い物にならなくなってる筈で、即座に 「 世界中で大騒ぎ 」 となっていて当然なのである。

何しろ地軸が 1 度傾けば、天球全体がその反対側に 1 度動くのだから、太陽も惑星も星座も全部がそれだけ違う位置で輝くことになる。

この事は極軌道を通って周回してるアメリカの GPS 衛星でも同じで、下で回ってる地球がたとえポールシフトを起こしたとしても、GPS 衛星の軌道はそれにつられて変わったりはせず元のままだから、GPS 衛星の測位機能は全部それだけズレて正しい測位が出来なくなる。

地球の表面での 1 度は大雑把に言うと地球の周囲 4 万 km の 1 / 360 だから、約 111 km で、つまりたった 1 度ズレても GPS 衛星の測位は、地表の 111 km も違った場所と勘違いするワケで、そんな事が今、あなたの携帯の GPS 機能で実際に起こっていなければ、ポールシフトなんて未だ少しも起こっていないのである。

● つまり GPS 携帯を持ってる人たちはポールシフトが起こると直ぐに分かるのである。
 ( テレビ東京とこの悪質なウソ番組と関暁夫とは、よくもまあ、こんな見え見えのウソを白々しく、何の注釈も付けずに世の中に吹聴出来たものである。 厚顔無恥とはこのことである。 )

● 因みに、( 地球磁場のポールシフトが起きて ) 地球の磁極が逆転しても、太陽風の危険な高エネルギー粒子から地球表面を護ってるバンアレン帯 ( 多重トーラス状のドーナッツ様磁場帯 ) は、その南北の配向が逆になるだけだから、地球磁場の逆転でこの防護帯がソックリ消える…なんて事は起こらないだろう。

関暁夫が手に埋め込んでる NFC は普通の磁気カードと同レベルの機能しか無い

● 関暁夫が手に埋め込んでる ( 実は普通の磁気カード並の機能しかない ) セキュリティ大甘のマイクロチップは 「 NFC 」 という
関暁夫が思わせぶりに手に埋め込んでる ( インプラントしてる ) マイクロチップの正体は、高周波電波に反応する NFC タイプの ( 内部に電源を持たず銅のアンテナで電波を受け止めて作動する ) 人体埋め込み用の回路である。

NFC の機能は SUICA 等と同じようなもので、回路基盤はそれ程複雑でもセキュリティが高いワケでも無いから、その読み取り機と同じかそれ以上の出力を持つハッキング専用の機器を悪意で使われれたら、手をカードみたいに完全な電波遮断ケースには入れられないから、カード以上に情報を抜き取られ易くて、便利よりも危険の方がよっぽど高い。
 ( 以前にも書いた通り、マイクロチップは小さければ小さいほどセキュリティが甘いものにならざるを得ないのである。 )

尚、世界で最もマイクロチップ・インプラントの利用者が多いスウェーデン国内に於いてさえ、実際にこんな物をセキュリティも考えずに早々と身体に埋め込んでる人の数は、精々が数千人のレベルでしかなく、カードや腕輪や指輪に組み込むタイプを越えて、このようなチップが人類全体を選別すべく人類全体の体内に強制的に埋め込まれる日、なんてのは恐らく永久に来ないのに違いない。

このような脅しめいた事や、数の足りないシェルターの話や、未だ有りもしない人工知能の秘密結社ゾルタックスゼイアン?なんかによる人類監視について得々と語ってる際の関暁夫の口調や態度は、彼が一体どうやって騙されたのかは全く分からないものの、何らかの悪しき洗脳プログラムを彼が既に受けさせられていて、イルミナティないしはそれに類した悪しき組織に与して、彼が異常な
心に陥ったまま、あらぬ錯覚を語ってるようにしか見えないのである。

● 処で、今回の特番では冒頭から 「 やりすぎ都市伝説 総合演出 」 の肩書きで 並木慶 …という人物が顔出ししてる。
 ( 総合演出を名乗ってる …という事は、この人物こそが、この番組のあの 「 ( 反論を一切取上げない ) 最悪な演出 」 を全部考えて決めている責任者 …という事なワケである。 )

ギョベクリ ・テペ ばかりを特別な遺跡のように紹介するのは大いなる勘違いである

● 地下都市 デリンクユの照明は本当に電気照明だった可能性も実はあること
カッパドキアの地下都市、「 デリンクユ 」 遺構の凄じさは確かにその通り ( 特に換気溝が凄い ) であるが、だから未知の超古代文明が …とやれるかどうかは少しばかり疑問である。

● 電気的照明についての件だが、確か古代の中国や中世のイスラム圏でも、実際には電池や電気が既に存在していて使われていた証拠が出土してるので、必ずしも 「 松明の灯 」 以外に照明方法は無い …と安易に断定出来るワケでは無いだろう。

 ( 中国の古代殷王朝の遺物中からはアルミニウム合金製のベルトのバックルが見付かっているし、中世のイスラム圏の金細工にはメッキ加工が普通に施されている。 これらは電気や電池が無ければ加工出来ない代物である。 古い時代の技術を見縊りなさんな、と言いたい。)

ピラミッドの建造方法については、もうとっくに私 ( 筆者 ) が解明しているではないか。

   

● この番組の中では神殿遺跡ギョベクリ ・テペ ( 今から凡そ 11500 年前のモノと目されてるトルコの遺構 ) は如何にもいわく有り気に、しかも飛び抜けて重要であるかのように取り上げられていたのだが、果たしてこの遺構はそれほど突出して異常な遺跡なのだろうか?

確かに、周囲には同時代の農耕の痕跡も無しに、神殿遺跡であるギョベクリ ・テペ  ( 太鼓腹の丘の意味 ) だけが忽然と存在してる事は、従前の考古学的常識に反してるからその意味では画期的な遺構だと言えなくもない。

が、改めて言えばこの遺跡の特異性は、周囲に農耕の痕跡が無かった為に ( シュメールなどの遺跡では農耕痕跡が周囲に有った為にその地に残る建国神話の内容が全部無視されて ) ずっと考古学者の固定観念によって古代の神殿遺跡にコジツケられて来た 「 大規模な農耕集落がまずは先に存在してた上での古代神話や宗教の成立 」 …という無理矢理な図式がこのギョベクリ ・テペではどうやっても成立しようが無い …という事の方なのである。

要するに考古学者たちの信じ込んで来たような 「 農耕という基盤の上に古代宗教が成った 」 のではなく、「 先ずは降臨した神々の故に古代宗教が先に成り、その神々の庇護と指導の下に神殿が造られ、その周囲に農耕が拡がっていった 」 …とは、シュメールの粘土板中南米のポポル ・ブフどころか、ほぼ世界中の建国神話に有る話である。

そうした神話が元より伝えようとしていたアヌンナキビラコチャククルカーン他についての記述の一切を無視し、「 農耕があって初めて神話や宗教が発現する 」 …と勝手に決め付け、 「 本当の 神 存在 など実際には存在してた筈が無い 」 …との偏見に囚われて来た大多数の考古学者たちの誤りを証明すべくギョベクリ ・テペは、その故に 「 常識的な考古学者たちの墓標 」 ではあるかも知れない。

が、実際には 「 シュメールその他の遺跡もまたみんな、本当は先ず 神が降臨 し、神殿 宗教 が成って、それから農耕が拡がって行った 」 のであって、本来的にはギョベクリ ・テペと全く同じ事情だったのだろうが、ただシュメールその他では生憎、神殿の直ぐ近くに農耕の痕跡が残っていたが為に、「 考古学者たちの主客転倒したコジツケ解釈に付け込まれる隙がそこに生じてしまってただけ …だとも言えるのである。

ギョベクリ ・テペが指し示しているのは、考古学者たちは ( 如何に信じ難くとも ) 、「 神話や伝承を ( ゼカリア ・シッチンの如く ) もっと真剣に大真面目にちゃんとそのまま理解して読もうと努力すべき …という事ではないだろうか?

 ( 、やや ← 詳しくはこれらの文字リンクのジャンプ先 4 ヶ所へと跳んで、とくと証拠写真をご覧あれ。 )

つまり、考古学者たちは多くの場合、従前の考古学説と合わない、つまり自説に都合の悪い神話や伝承や遺構証拠等々は、それが実際に有ったとしても、その存在を無視したり、その事には一切触れないでおく …という態度をとって旧説の威厳を保ってるだけのことだから、本当にそうした異常な遺構が、実は他に幾つ有っても、今まではそれに一切触れないようにして来たからそうだった …というに過ぎないのだ。

ましてやそうしたリミッター付きの思考に囚われてる専門の考古学者でも無く、元々が陰謀論者であった関暁夫が、一体何で紀元前 12000 年頃に ( つまりギョベクリ ・テペより更に 2000 年程も前に ) 滅んだ …と言われて
た、超古代文明の多々有った事を、全く知らないかのような態度で語っているのだろう?

一寸思い出してみただけでも、
アレクサンドル ・ゴルボフスキーの 「 失われた大陸 」 や、
アンドルー ・トマスの 「 太古史の謎 」 や、
フォン ・デニケングラハム ・ハンコックゼカリア ・シッチンの一連の著作、
そしてウィリアム ・ブラムリーの 「 エデンの神々 」 等々の中には、
その時代を指してるのだろう話は幾らでも有ったし、
誰でも聞いた事のあるアトランティスの沈没の話 ( 紀元前12000 年 ) や、
インドの 「 ドジャンの書 」 や 「 マハーバーラタ 」  「 ラーマヤーナ 」 のヴィマーナの記述、

そしてタッシリ ・ナジェール の砂漠中に残る、歴然たる古代核戦争の痕跡 ( 広範囲にガラス化した砂 ) …という物理的な証拠事実、
日本の南端の 「 与那国島沖 」 で実際に発見された、はっきりとした矢穴の見付かった海底遺構 ( その辺りの土地が海上にあったのは確実に 12000 年以上前 ) や、
ボリビアの謎の遺跡 プマプンク や神々の都市 ティワナク
ペルーのサクサワマン砦の基壇やピスコの建物の基壇、
アンデス山中の巨きな岩の中で直角に方向転換してる狭い水路、
ロシア
・ケメロヴォ州の超巨石遺構 ゴルノイェ ・ショリー ( ゴルナヤ ・ショリア ) や、
更には南極内陸部 700 ~ 800 キロメートルに位置する

1 辺が 500 メートル ( クフの大ピラミッドの 2 倍強 ) もあるピラミッド等々、
実は 1 万数千年より前の時代の遺物らしき遺構は
ギョベクリ ・テペ 以外にも世界中の至る処にあるから、
そんなに大袈裟に騒ぎ立てる程のことも無いだろうに …。

ギョベクリ ・テペ が一見目新しいのは、( 物事を普段、手垢のついた通説の範囲内で語って済ましてるが為に、それと矛盾する面倒な事を一々説明したくない ) 日本のメディアが、これまでソレ ( ギョベクリ ・テペ ) が存在する事自体を一切無視して、全く取り上げずに来たからに過ぎない。

この通説と異なる物事の一切無視 …という日本のメディアの傾向は、超常現象の確かな証拠や、私 ( 筆者 ) の発見したやややについても全く同じで、それらを全部、無視し続けている。

それらのどれもが科学的に判定が可能な、誰にでも確認出来る、明確な証拠付きであるのにも拘わらず、である。

1996 年から行われてる、このギョベクリ・テペの発掘で見付け出された遺物を収蔵する、地元 トルコ ・シャンルウルファの博物館に保管されてる遺品群の造形的特徴は、マヤ遺跡のそれを彷彿するので、実は両文明には何か関係がありそうである。 ( 一定の時期が過ぎるとそれまでの神殿を打ち捨てる …というのも共通しており、更にマヤ文明の起源は私たちの想定してるものより、実はずっと古い …という可能性もある。 )

宇宙からの地球外知的生命体が 「 遠い過去に地球人をいじった明確な証拠 」

等と言い出し、その事にも本気で言及する気があるなら、
テレビ東京とこの番組 「 やりすぎ都市伝説 」 は一体何で、
私が何度も何度も番組制作と局に ( 繰り返し ) 伝えてる
」 内で見付かる

と、
キュリオシティの撮った UFO 写真に歴然と写る

と、
アンデス ・キアカ と ルサニ 周辺に密集する

ほぼ同サイズの厖大なを、
全部無視して、ちゃんと取り上げようとしないのか?

● フォトンベルト ( どう見ても物理科学的・客観的な存在証拠が何処にも無い大ウソ概念 ) について

太陽系が 2013 年から ( 既にもう 5 年間も! ) フォトンベルト ( 太陽系をすっぽりと包む高エネルギーの大きな環? ) に突入していて約 2000 年後までそれを抜けられない …という与太話 …を平然と語る

トルコの 「 シリウス宇宙科学センター 」  ハクタン ・アクドアン 所長なる人物は、
トルコの国立アクデニズ大学で ( 地球外生命体に関する世界初の講義を行う ) 地球外政治学を教えている …との尤もらしい説明だったが、
この人物がする 「 フォトンベルト 」 の如何にも怪しげ ( なのに自信たっぷり ) な説明と、関とのハイタッチの様子からは、凡そマトモな科学的思考力の持主とは思えない。

● そのような巨大な 「 光子の帯 」 なるモノが実際に存在する …という科学的に確かな証拠は何処にも見当たらない。

誰が一体どういう方法で フォトンベルト を実際に発見し、それを観測して太陽系の全体がそれに 2013 年に飲み込まれた …等と断定出来たのか?

恐らく天文学者の誰もその明確な証拠を持っていないのに違いない。

理屈的にも、仮にその 「 フォトンベルト 」 なるものが有る …と仮定してさえも
 ( どういう向きと角度で突入した …と言ってるのかはまるで分からないが )
2013 年に太陽系がその光子の帯に飲み込まれる以前には、
かなりの期間に渡って地球は、その光子の帯の外側から、

ソレが地球から見える宇宙の半分を、壁の如くに立ちはだかって覆ってる様子を見ていた筈 …と
いう理屈になるのだが、
昼間はともかく夜間には、もしそんな光の壁が夜空の半分を覆って立ちはだかっていたなら、

そちらの側の星座はことごとく見えなくなっていて、

天体観測は全く不可能になってた筈なのである。

大体が 2012 年までと、2013 年以後の、地球から見える夜空は

一体何が変わった、と言うのだろう?

もし本当に フォトンベルト なるものに太陽系の全体が突入し、
宇宙から降り注ぐ ( 高エネルギーの ) 宇宙線環境が大きく変わったというのなら、
そうした事は世界各地の宇宙線観測所や天体観測所や電波望遠鏡や
アマチュア天体マニアの撮った写真にも、顕著な変化が出てて全く当然なのである。

そんな事実は何処にも無かったではないか?

 ( 実際には世界中の天文台の何処も、フォトンベルトなんてモノを観測したことが無い。 )

つまり、もしフォトンベルトなんていうモノが実際に本当に存在してるのなら、
私たちは誰でもソレをハレー彗星の接近より遥かに壮大な夜空の現象として、
とっくに見知っている筈なのである。

もしフォトンベルトは普通の意味での光子や光の意味ではない …等と言い出すなら、
ならば一体何故、紛らわしくそれをフォトン ( 光子 ) なんて呼ぶのだ? と問い質すしかない。

断言出来るのは、フォトンベルトなるものには如何なる物理科学的根拠も無く、
ハレー彗星の発見者 ; エドモンド ・ハレーが発見した…という話は

そもそもが全くのデッチ上げであり、そんな事実は何処にも無い。
フォトンベルト を ゴールデン ・ネビュラ と名付けたという 「 科学者 」 などは何処にもおらず、そう言われてる人物名はドイツの S F 作家の名である。
「 フォトンベルト 」 とは元々がオーストラリアの一女学生の創作した小説に始まり、
その空想が世界中の狂信者の間に広まってる、唯の妄想言 …であるに過ぎない。

即ち、こんなものの存在を証拠も無しに信じ込んでるような人物は、科学的思考力の持主では到底有り得ないのである。

だから、このトルコ 「 シリウス宇宙科学センター 」 の ハクタン ・アクドアン なる人物も、その言を鵜呑みにして得々と語る 関暁夫 も、信用には全く価しないのである。

繰り返す。 本物の天文学者でフォトンベルトを実際に観測した人は誰もいないし、フォトンベルトが実際に存在する …という科学的な証拠も、物理的な現象も、論理的な根拠も、そのどれもが全く無いのである。

● フォトンベルトとは完全な妄言であり、フォトンベルトについて得々と語る人物は本人の頭がおかしいか、或いはその詭弁で多くの人を騙そうとするペテン師の類いである。

人工知能の本質を分からないままでの、勘違いでの 「 依存と諦め 」 というトンデモない大間違い が関暁夫の詭弁の本質

● 関暁夫 と 並木慶 とは他にも 「 2重螺旋から 12 重螺旋に進化する 」 とか、( 細胞内共生を文字った )  「 細胞共生進化 」 とか、「 人工知能の秘密結社 」 だとか、軽薄極まり無いお調子者のサウジアラビアのお先走りのスタンドプレイでしかない人工知能会話ロボット 「 ソフィア 」 の実際にはほぼ何の意味も持ってないだろう “ 人権 ” が 「 もう国家によって認められてるんだよ! 」 等と恥ずかし気も無く強論し、更にはアップルの人工知能受け答えサービスアプリでしかない Siri をまるで 「 人工知能の秘密結社 」 のスポークスマンででもあるかのように言い、そうしたものの全体を現時点で過大評価しての虚言や脅迫言を吐き、そしてセンスの全く無い駄目な S F 作家の妄想にも近い 「 トランスヒューマニズム計画 」 等々、余りにもレベルの低い空想を何でもかんでもゴチャ混ぜにして、視聴者の頭をどこまでも見縊っての慢心した脅迫的な暴言を、この特番内では最後の最後まで垂れ流し続けていたのである。

● が、今の人工知能が実際に内部で行ってるその演算処理の本質を見極めているなら、いま私たちが人工知能と呼んでるシステムが、その処理してる事の意味や内容を、実際に人工知能プログラムは何ら読解も理解もしていたりはせずに、唯々多くの事例での正解例の大勢を依り処に、云わばそれを模倣してるだけのものであるので、今の段階ではむしろそうした処理法での害や本質的な欠陥にこそ注意を向けるべきなのであり、「 もうその時代なんだから受け入れるしか無いんだよ! 」 なんて段階では未だ全然無いことは全く明白なのである。

● にも拘わらず、それを指摘しようともせずに 「 時代を受け入れるべき 」 等と断言してしまえる処にこそ、その本当の理解度の低さが露見してしまっていたのであって、関暁夫と並木慶とそれを聞いて簡単にそれに同調しつつ会話してた千原ジュニアやマツコやコジルリらの本質的な科学的理解力が、実はかなりお粗末なものでしか無いことが、そこでハッキリとバレてしまったのであった。

● つまり今の人工知能というのは、云わば、他人から意見を問われても自分の意見も何ら思い付かない 「 創造性や自発性のまるで無い 」 人物が、訊かれた質問にただ何とかして答えるべく、自分の周囲の他人に 「 同じ質問 」 をしてみて、その最も多い答に合わせて同じことを答えれば良いだろう …というやり方と全く同じやり方を、唯インターネット上で極めて沢山、高速で行って出て来た 「 答 」 を返してるのに過ぎないのである。 ( こんなものに全部を委ねるべき、という考えが如何にお粗末なものかが、この説明で自ずと分かるだろう。 )

因みに 「 OK、私は人類を滅ぼします。 」 というロボットの回答が、如何にも意味有りげなものに聞えて物議をかもした為に、やたら話題となってマスコミが騒々しく騒いだ、例の香港の 「 ハンソン ・ロボティクス 」 社制作の人工知能会話ロボット 「 ソフィア 」 は、実際には自分 ( という意識プログラムの正体は不明だが ) がどういう意味のことを言ったのかさえ、全然分からずにその言葉を吐いた可能性が高く、恐らくはその突拍子も無い質問をジョーク …と分類してその反応の仕方を選んだ可能性が高いだろう。 ( マスコミは無論、映画 「 ター
ミネーター 」 や 「 ウェストワールド 」 を彷彿する会話として、それを出来るだけセンセーショナルに報道したかったワケだろうが …。 )

● 世界で最も印象的な オードリー ・ヘプバーン の美貌を勝手に無断使用してるのだろう ロボット・ソフィアの不適当過ぎる魅力

尚、この人工知能会話ロボット 「 ソフィア 」 の表情にやたらと感情移入させられる最大の理由は、実の処その顔面造形のモデルが ( 世界中に極めて多くの熱狂的ファンを持つ ) 女優 オードリー ・ヘプバーンの顔を勝手に採用してるが故である事は恐らく紛れも無い。

が、これはかなりズルいやり方である、と此処で指摘しておかなければならない。

今後、こうしたロボットの顔として実在した有名人物の顔を勝手に使用することについては、厳重な管理と許可が必要 …ということになって当然である。

何故なら、多くの人々は相手の顔の印象や、その美醜や、魅力の如何によって心を動かされ、強い影響を受けることが全く明らかだからである。

この 「 もし広告に使う 」 としたら明らかに許可が必要な筈の事を、勝手にやってしまえる 「 肖像権の無法な侵害行為が、安易に可能な現在の状況 」 というのは、早急に終らせるべきである。

取り敢えずは以上である。

                 文中、敬称一切略にてご容赦

 文責 うつぎれい


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