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VTRをマスターしたい人が読むべきエントリー50選
「没後50年 藤田嗣治展」
往訪日:2018年9月1日
会場:東京都美術館(上野)
会期:2018年7月31日~10月8日(月曜休館)/9時30分~17時30分
(画像は全てネットからお借りしました)
※相変わらずの個人的備忘録なので、興味のない方はスルーして
くださいませ(笑)
こんばんは。登山に行けないので今後の登山計画書を片っ端から作りまくって
いるひつぞうです。「仕事も忙しいのにいつ計画するんですか」って職場でもよ
く訊かれるんだけど、天気が悪い日や中途半端な余暇に纏めてやるようにして
いる。その方が集中力も高まるしね。以前はこうした作業も愉しみのうちだった
んだけど最近は面倒くさい。でも外注できないし。
「おサルやる」
いや結構です…。
★ ★ ★
話は変わって、あとひと月ほどで終わってしまう「藤田嗣治展」を鑑賞しにいっ
てきた。クリスチャンネームのレオナール・フジタの名前でも知られてるよね。
藤田を知るきっかけは、その作品ではなく、余りに個性的な風貌からだった。
パリ遊学中の東郷青児の写真に写り込んでいたんだ。誰これ?って感じで。
同じエコール・ド・パリの画家なんだけど、てっきり色物だと思ったもんな。
下のポートレイトから発散する自意識オーラがすごい。おカッパにロイド眼鏡、
ちょび髭にピアスにブレスレット。衣裳も斬新。だって1920年前後だよ。川久保
玲のセンスを先取りしたような。しかもね。脱ぐと凄いんだよ。めちゃマッチョ。
ゲイカルチャーの匂い芬々なんだけど、いたってノーマル。モテモテで女性に
不自由した事がなかったそうだ。ちっ。感じわる。
ま、何かしら自己主張しないと生き残れなかったのも事実。そういう意味では藤
田の読みは当たった。
その後伝記などを読んで、波乱に富んだ生涯と、作品の変遷を知るにつれて
意外にストイックな画家なんだと判った。今回は没後50年の回顧展。代表作全
点とはいかないけれど、体系的に鑑賞するには絶好の機会だよ。
★ ★ ★
藤田嗣治(1886~1968)。東京の医者の家庭に生を受けた。藤田家は家老の
家系で父・嗣章は陸軍軍医だった。医者や学者、芸術家を輩出した一族。本人
も優秀だったに違いない。そんな藤田の画才を見抜いた鴎外の推薦と本人の
希望で東京美術学校に入学する。
「自画像」(1910年) 東京藝術大学
これ卒業制作なんだけど、視線が挑発的だよね。実は指導教授の黒田清輝と
反りが合わなかったんだ。当時は印象派(外光派)一辺倒。そうした技法中心
の指導が面白くなかった。だから黒田が嫌いなアンダーな色彩で自画像も塗り
たくった。
ま、名門の生まれで不自由のない教育機会を与えられた点は黒田と共通して
いるんだけど…。でもどちらの絵も好きなんだよ。僕はね。
「婦人像」(1909年) 東京藝術大学
こういう外光派的な画も残している。デッサンがしっかりしているね。画力は
ピカ一。でもちょっとばかり明治黎明期の世代とは環境が違った。パリでは
シュールレアリスムやキュビスムなど、新しい表現方法の試みが進んでい
たからね。面白くなかったんだよ。ラファエル・コランに始まる主流派による
写真のような構図と色彩が。
「パリ風景」(1918年) 東京国立近代美術館
1913年、パリに逃げ出した藤田はこんな絵を描き始める。
「暗い絵だにゃ」
僕は嫌いじゃないね。冬のヨーロッパ特有の高曇りの空に、広い路地に点描
として配された乳母車を押す一人の女性。伝統的なパリ郊外の街並みに、押
し
寄せる工業化の波。安らぎと不安。淋しさと希望。背反する都市生活者の
心象がよく表現されている。
でもね。モチーフはともかく、表現としての藤田の勝利は、この広い空白に施
された(筆先を軽く抑えつけたような)マチエールにある。この試みは当時の
藤田の特徴。交友のあった岡鹿之助なんかは影響を受けて独自に進化した
んじゃないかって思うくらい、マチエールがもたらすポエジーがよく似ている。
★ ★ ★
藤田と云えば「裸婦」と同じくらい登場するモチーフが「少女」。
「二人の少女」(1918年) プティ・パレ美術館
チョー不気味だよ。絶対売れないと思うんだけど。夜トイレに行けないよ。
なんか右側にもう一人いそうだし…。
「どーしてこんな絵を描いたのち」
当時の藤田はアルカイック美術や盟友モディリアーニの影響を強く受けている。
そのため縦に間延びした人体や虚ろな目の人物表現を繰り返し試みているよ。
「少女と果物」(1963年) ポーラ美術館
※今回対象外
これは晩年の作品。まったく違うよね。ていうか晩年の「少女」がイメージとして
先行しているから余計にそう思うのかも知れない。この頃の少女はどれも同じ
顔。というのは全てモデルなしの藤田の創造の産物だからだ。少しアニメチック
なスタイルは、現代の奈良美智、村上隆なんかにも通じる。個人的には乳白色
の時代の絵が好きだけど。
ま、ドールハウス作りに熱をあげたり、少女好きだったり、オネエ的だったり、
ゲイっぽかったりするけど芸術家にはジェンダーレスな作家はもともと多い。
★ ★ ★
もうひとつのモチーフは「猫」だね。無類の猫好きな藤田だけど、そもそもの
始まりは、パリの雑踏で懐いてきた野良猫を連れ帰ったことに始まる。それ
が二匹になり、更に三匹と増えていった。藤田はいう。「猫と女はよく似てい
る」と。
「その心は?」
「愛情を注がないとすねてしまう」んだって。
「すっごく物議をかもしそうな発言だにゃ」
「争闘(猫)」(1940年) 東京国立近代美術館
僕が言ってるんじゃないよ。でも猫好きな芸術家って多いよね。作家では三島
由紀夫、内田百閒、村松友視に谷崎先生。写真家の武田はな、岩合先生。
絵描きでは古いところで国芳に始まり、猪熊弦一郎、以前紹介した竹内栖鳳。
なんでだろう。見ていて飽きないから?思いがけない動きをするし。嫉妬した
り、怒ったり、甘えたり、感情表現も豊かだし。芸術家のインスピレーションを
刺激するんじゃない。
「わんこも豊かだよ!」
わんこ派の御意見でした。
★ ★ ★
「私の部屋、目覚まし時計のある静物」(1921年) パリ・ポンピドゥーセンター
話が画風の変遷から、一気にモチーフに飛んでしまったね。ここで軌道修正。
んで「気持ち悪い」系の絵を描き続けたのちに、藤田の存在をパリ画壇に知ら
しめる作品が登場する。それが上の静物画なんだって。
「ただの静物画じゃん」
ここにはね、のちの「乳白色の肌」の萌芽があるんだよ。白を空白ではなく色
として表現した点。極細の面相筆で輪郭線を描いた点。ジャポニスム全盛の
パリだからね。浮世絵を思わせる手法は斬新だったのかも。
★ ★ ★
つーことでいよいよ裸婦。
「横たわる裸婦」(1922年) ニーム美術館
「乳白色の肌」と絶賛された藤田の裸婦像の色彩テクニック。生前は公表され
ず長い間謎とされてきた。謎の解明は修復の過程で解明された。下地に使用
されていたのはシッカロール、つまりベビーパウダーだったんだよね。
「修復作業の光景をVTRで見たにゃ」
「タピスリーの裸婦」(1923年) 京都国立近代美術館
この技法は1920年頃から使われたらしいね。よく登場するモデルは
当時恋仲だったリュシー・パドゥ(藤田はユキと呼んでいた)。藤田は裸婦と
ジュイ(フランスの伝統的プリント生地)を配することを好んだそうだ。そして
猫もね。
藤田とユキ
こんな関係だったらしい。僕の好みじゃないね。
「舞踏会の前」(1925年) 大原美術館
ひとつの到達点。それまでひとりの裸婦像だったけど、群像に取り組むよう
になる。色白なんだけど肉体表現がミケランジェロばりにゴツゴツしているね。
マチエールは一層薄塗りに。まるで「色は白以外興味なし」と云わんばかり。
ただ本音を言えば、この時代の裸婦像で自分の好みに合うものはあまりない。
僕の好きな藤田が現れるのは、二度目の大戦で受けた個人的な心の傷を乗り
越えた先にある。
2009年の巡回展「レオナール・フジタ展」ではエソンヌ県議会所蔵の大作4点が
話題だったけど、特に藤田と太平洋戦争の関わりを深く掘り下げていた点が印
象に残った。
「アッツ島玉砕」(1943年) 東京国立近代美術館
今回はさらっと流していた気がする。僕も藤田の戦争画には(確かな写実性
以外)特に関心はないけどね。ただその後の画業を理解するには、戦後の戦
争協力者批判の苦しみを知ることが必要なんだよ。
「知っているよ。それはおサルも」
戦争がはじまると一番先に生活苦に陥るのは芸術家。藤田は糊口をしのぎ、
暗黒の時代から逃避するかのように中南米やアジアを放浪する。もちろん、
常に女性つき。でも、これ逃避というより画家の食うための常套手段だったか
もね。東郷青児も海外漫遊に出たし。
この間の絵は単に汚い。もうデカダンスの匂いしかしない。なので省略。
★ ★ ★
「カフェ」(1949年) パリ・ポンピドゥーセンター
戦後藤田はニューヨーク経由でフランスに渡り、二度と日本に還ることはな
かった。そのニューヨークで描かれた作品がこの「カフェ」。
こよなく愛したパリ。そのカフェでの一場面。戦前の喧噪と倦怠の時代のパリ
が理想化さえたような絵だ。つぼめた口先。やや吊り上がった目尻。画中の
女性の面貌は、のちの少女像のそれによく似ている。
便箋にしたためられた想いは、失われた時代に捧げられたものだろうか。
「美しいスペイン女」(1949年) 豊田市美術館
これは豊田の常設展示で観ている。健康的な表現とバランスのとれた構図。
こうしたものを一番と感じる僕はすでに美術を語る資格なしなのかもしれない。
でも地肌の美しさは黒いドレスと好対照で際立っていない?これもひょっとする
とモデルなしかもね。スペイン人っぽくないもん。
「礼拝」(1962-63年) パリ市立近代美術館
フランスに帰化し、パリ郊外のヴィリエ・ル・パクルにアトリエを構えた藤田は
カトリック世界に沈潜し、静かな生活を送った。画風は色彩感が目立つようになり
線の描き込みも顕著になる。油絵というよりイラストのようだ。この「礼拝」には、
藤田とその最後の妻・君代夫人が描かれている。
その藤田の思いを一番よく知る君代夫人も戦後の日本画壇とは距離をおいた。
ヴィリエ・ル・バクルに今でも存在する「メゾン
・アトリエ・フジタ」
長生きした友人ピカソは最後まで著名な画家として君臨し、藤田同様女好き
は変わらなかったが、好対照にも藤田は自分の世界観に沈んで、時代から
忘れ去られようとした。でもそれでよかったのかも知れない。
そして藤田夫婦が眠る、藤田自身のデザインによる「ノートル・ド・ラ・ペ」。
ロマネスク様式の美しいこていな礼拝堂だ。
「ペ」は英語のpeace。平和の礼拝堂。藤田が何を思い、何を伝えようとした
か。絵画作品以外にも学ぶところは多かったよ。
「語ったにゃ~。もうこれでネタ切れだにゃ~」
(行列情報)
8時45分に着いたけど先行者1名。9時を過ぎた時点で30人程度。館内はそれ
なりに混んでいますが、自分のペースでゆっくり鑑賞できます。どの作品も偏っ
た客の集中はありません。
(終わり)
いつもご訪問ありがとうございます。
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9/5(水)19:00〜19:56 日本テレビ系「1周回って知らない話」にVTRで出演します‼️全国ネットです🗾ぜひご覧ください!
#浜端ヨウヘイ
#1周回って知らない話
9月10日(月)26時~26時25分(=9月11日2時~2時25分)
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