ゆたぼん やっぱイチバン!

ゆたぼん やっぱイチバン!

ヤフーが認めたゆたぼんの凄さ

ゆたぼんが新聞に掲載され、Yahoo!ニュースのトップに載った事で大きな反響を呼んでいます。

 

Twitterでも拡散され、脳科学者の茂木健一郎先生はこのようなツイートをしてくれました。

 

そしてゆたぼんが学校に行かない選択をしている事をもとにYouTubeで「学校に行かなくても学ぶことはできるか」という動画をアップしてくれました。

 

 

本当にありがとうございます!

 

 

僕も「学校」という場所だけが何かを学ぶ場所だとは思っていなくて、学校以外でも学べる事がたくさんあると思っています。

 

寧ろゆたぼんの場合は学校の中より、学校の外で多くの事を学んでいるなぁ、と感じているくらいです。

 

もちろん、中には学校というシステムがぴったりと合う子もいるでしょう。

 

学校が好きで、学校が楽しくて行っている子もいると思うので、そういう子に対してはそれでいいと思うのです。

 

 

しかしそういう子ばかりではありません。

 

 

やっぱり学校というシステムに合わない子もいるし、近年の不登校率の上昇や自殺する子どもの増加を考えると「学校に合わない子ども」が増えているのは間違いないでしょう。

 

そういった現代を生きる子どもたちの現状に目を向けず、旧態依然とした学校教育に何の疑問も持たないで、ただ「学校に行け!」というだけでは何も変わりません。

 

だから、僕は行きたい子は学校に行けばいいと思うし、行きたくない子は「行かないという選択」をしていいと思います。

 

 

もちろんゆたぼんも自分で選択しています。

 

 

ゆたぼんの動画やこれまで出演してきたラジオの放送を聴いた事がある人はご存知だと思いますが、ゆたぼんは「俺は不登校という言葉が嫌い」と言っています。

 

「本当は自由登校って言葉が好きやけど、わかりやすいから不登校って言っている」と。

 

「自由登校」というのは自分で行くか、行かないかを選択する行為です。

 

だからゆたぼんは自分が行きたい時にだけ学校に行き、行きたくない時は学校に行きません。

 

 

ゴールデンウィーク前もそうでした。

 

 

家に学校の先生が来てくれて「遠足あるけど来る?」と聞かれ、「行く!」と行って遠足に行きました。

 

それを「わがままだ」と言う人もいますが、これが本当にわがままでしょうか?

 

自分の気持ちに従って生きる事の何がいけないのでしょう。

 

そしてそう言ってくる方に聞きたいのですが、あなたにゆたぼんが何か迷惑をかけたのでしょうか?

 

「行くか、行かないかハッキリ決めろ!」と言う人もいますが、なぜハッキリ決めなければならないのか?

 

白か黒か、0か100かの極論でしか物事を考えられない人がいますが、白でも黒でもないグレーという色も存在するし、0と100の間にも多くの数が存在します。

 

物事を両極端にしか見られない人は、白か黒かのモノクロの世界に拘ってしまいますが、世の中というのは「ゼロか100か」とか「良いか悪いか」で割り切れるものではありませんよね?

 

 

なぜ、従来の常識だけに固執するのか?

 

 

時代が変われば人の考え方や価値観も変わり、常識も大きく変わってきます。

 

日本でも昔は男尊女卑の時代があったり、女性が大学に行くと言うと「どうして女なのに大学に行くの?」なんて聞くおかしな時代もあったわけです。

 

今そんな事を聞くとかなり非常識な発言と言われるものでも、かつては常識だったわけで、今の常識だって本当は非常識かもしれませんよね?

 

戦争中は国の為に死ぬ事を強要され、思想の自由も人格の自由も認められませんでした。

 

「お国の為」と行って敵の命を奪う事が正義でしたが、今ではそれは「狂気」です。

 

時代は変わったはずなのに今もなお、日本の学校教育では個人の自由が認められていないのは変だと思いませんか?

 

 

今の常識も必ず変わる!

 

 

それと学校関係者を含め、多くの大人が「不登校は問題行動だ」と考えていますが、不登校は問題行動ではありません。

 

文部科学省も約3年前に小、中、高、すべての学校へ向け、「不登校を問題行動と判断してはならない」 との見解を含む通知を出しています。

 

「宿題くらいしろ!」とか「宿題をしないとロクな大人にならない!」という意見もありましたが、その人がそう思い込んでいるだけで何の根拠もありません。

 

実はアメリカの調査結果でも「宿題は学力向上に効果なし」という衝撃的な結果が出ています。

 

宿題に関する研究の第一人者であるデューク大学のハリス・クーパー氏は、「宿題をすると頭が良くなる」という神話を払拭するべく研究を始めました。

 

そして多数の研究の結果を総合的に解析し、子どもが行う宿題に学術的な利益はないと発表したのです。

 

念の為に今回の研究に関するソースを貼っておきますね。

 

英語だから訳す必要がありますが、僕はgoogle翻訳を使いました。

 

たまにおかしな訳し方は見られますが、本当に便利な時代になったものです。

 

このように「正しい」と思っていた事が実はそうじゃなかったり、「常識」だと思っていた事が「非常識」だという事は多々あります。

 

文字数オーバーなので一旦きります。

 

続きは下記URLです。

→ 

ゆたぼんが許されるのは小学生までだよね?

先日ご連絡頂き、ゆたぼんと僕とでインタビューを受け、今日のTBSテレビのサンデージャポンで報道して頂きました。

 

賛否が出ている事を公平に取り上げて報道してくださって本当に感謝しております。

 

新聞記事には文字制限があって、テレビの放送時間にも限りがあるので仕方がない事なのですが、ゆたぼんがロボットに見えたの説明で「でもそれはオレがそう見えただけで、その子たちも何かで悩んでいると思う」と言っていた事だけはここで知っておいて頂けると有り難いです。

 

 

ゆたぼんは僕と違って賢い子です。

 

 

僕のブログに「自由ならなんでもやっていいのか!」と勘違いしたコメントをしてくる人がいますが、そんな事は言ってません。

 

ゆたぼんも「バイクに乗りたかったら免許を取って、自分のバイクで走る」のは自由だと知っていますし、「盗んだバイクで走る」のがやってはいけない事だとわかっています。

 

このブログや僕の著書でも何回か書かせてもらっていますが、かつての僕は「自由」の意味を履き違えて、多くの罪と間違いを犯しました。

 

暴走族になって盗んだバイクで走り回ったり、学校のガラスを割って回ったり。

 

しかし自由に生きようと思えば思うほど不自由になり、やがて犯した罪の重さに苦しみました。

 

そして自分の過去を隠し、必死で働き、必死で学び、必死で社会に馴染もうとしましたが、今度は疑問も募っていったのです。

 

世間の常識に従い、周りと同じように振る舞い、自分を押し殺して生きる事で自分の思いはどこに隠しているのだろう?と。

 

 

僕は僕なりの答えを探しました。

 

 

真の「自由」とは世間に由らず、自分に由る生き方の事です。

 

自分に由る生き方が「自由」なはずなのに、

僕は世間に由って生きていた。だけど「世間由」なんて言葉は存在しません。

 

だから世間を判断の基準にするのではなく、大事なのは自分の基準を持つ事。

 

モノサシはひとつである必要はないし、いくつあっても構わない。

 

でも自分の基準を自分で見つけて、自分のモノサシで生き始めてこそ、人は自由に生きられるのだと思う。

 

僕は決して自分の過去を美化しているわけ

ではなく、本当はずっと隠して生きてきましたし、反省もしています。

 

なぜその過去について今は隠さずいるのかについて
、著書に書かせてもらっています。

 

僕もゆたぼんもこれから色んな事に挑戦し、失敗したり、間違いを犯す事もあるでしょう。


それでも僕もゆたぼんも挑戦する側でありたいと思う。

 

色んな事に挑戦して失敗した事は自分自身の体験談になるし、実体験の中から学び、気づき得た事は大切な思い出にもなるはずだから。

 


ゆたぼん 関連ツイート

令和ブームですら10日くらいしか持たなかった。

・ゆたぼんは1週間
・小夏は3日が限界💦 https://t.co/qinUv2c9Yl

リムったやつブロックしてTwitterにゆたぼん二世って言って通報しとくわ

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