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おはようございます
【PFL】エスティシオーです
・ユニオン
6勝1大敗。この大敗がなければ1800枚到達してました
最終日は、負け決定です。いじめてくる人が多すぎます。
恨みます
今は、これ以上に差を広げられてます
大敗阻止目標。
そんな中、
【pink】蒲田さんと3回目のご対面
でも9時現在
頼むから起きてくれ~
対岸には厄介者の人達がいます
その中でフレンド2人、名前わからなくなってますが
KATATEMAさんです。
もう一人
マルコスターズさん。
この二人筆頭にいじめてきます
天罰として報酬ガチャはピタリでしょう
タイトルの厄介者は、嘘です。大切なフレンドさんです
では、ユニオンに戻ります
それでは、また
阻止であらゆる困難と闘うページ
兵器の発達は日進月歩である。
動画は日本で防弾チョッキ、防弾ベスト、防弾衣と呼ばれるボディアーマーを紹介している。
ボディアーマーは、銃弾や爆発による破片などから身を守るために使用されるベスト状の身体防護服。フラックジャケット、バリスティックベスト、ブリットプルーフベストとも呼ばれる。
日本では防弾チョッキ、防弾ベスト、防弾衣などの呼び方がある。
なお、ボディアーマーの防護性能は使われる素材によって異なっており、砲弾片程度しか阻止できないものから、拳銃弾を防護できるものが一般的である。
中には装甲を貫通する目的で作られた小銃用のAP弾を停止させるNIJ規格レベルIVクラスのものまで存在する。
最初期のソフトアーマー類のうちのひとつは中世の日本において絹で作られていたものだと言われている。
中世末期にマスケット銃が登場すると鎧が打ち抜かれる事例が多発するようになったため、鎧職人側も対抗するために前面を厚く、背面を薄くしたり、積層装甲などの技術を用いて対抗しようとした。
銃が大量に配備されるようになるとマスケット銃の弾が貫通しないことが重要なこととなり、出来上がった鎧を銃で撃つ『試し胴』を行い貫通しないことを証明するようになった。
しかし、実際に打ち抜かれないことは稀であり、そのほとんどは火薬を極端に減らした弾を使うか、職人が弾痕に見せかけたへこみを工具で付けていたのが実情であった。
銃の発達によって装甲の薄い全身鎧は存在価値を失い、鎧は頭と胴体だけを守る物へと変化した。中世のものよりも厚くなり、遠距離からの小銃弾や銃剣に耐えられるようになった。
このような鎧を身に着けた胸甲騎兵や装甲擲弾兵がエリート部隊として戦場に現れた。
しかし、このような鎧も機関銃の登場によって価値を失っていく。
1898年シカゴ市長カーター・ハリソンが自宅にいる際にギャングによって機関銃で撃たれ、命を落とすという事件が起きた。
シカゴ市民の間に衝撃が走り早急な対策が必要となった。
神に仕える人も思いは同じだった。
カシミール・ゼグレンはシカゴの教会の聖職者だった。
市長の死に衝撃を受け、彼は神聖な仕事として防弾ベストを作る事を決意する。
しかし15年間、鋼鉄の削りくずや毛髪を利用して実験を繰り返したものの成果は上げられなかった。
次に試したのが絹だった。
絹は鋼鉄に比べ弾性があり引っ張ると元の長さよりも30%長くなった。
またゼグレンは蜘蛛の巣にも注目。
ぶつかった昆虫の運動エネルギーを巣が吸収する原理を応用しようと考えたが、これぞ、といった織り方が見つからなかった。
しかしヨーロッパの織物工場を訪れた際、ついに理想的ともいえる四層の織り方を見つけ、防弾ベストを仕上げた。
この防弾ベストの効果に疑問を持つシカゴ市民を納得させるため、究極の実証方法を考案する。
性能には自信があったため、彼はシカゴ劇場にて自らベストを着用して実演を行なった。
人々が見守る中、彼の同僚が彼に銃を向け、発砲した。
見事に成功。
弾は貫通しなかった。
彼は信仰心が篤く、自分の行為を信じていた。そして心の奥底には「これは、神からの使命。神は裏切らない」と心から信じていた。
1914年にゼグレンの開発した絹のボディアーマーは800USドル(現在の価格で1万5,000USドル)程度で高価なものだったが、黒色火薬を用いる初速の低い銃弾を防ぐのには十分な性能であった。
これを着用できたのは少数の精鋭部隊のみだった。
この大戦での塹壕戦では、それまでの皮製のヘルメットなどに代わる鉄兜や、一部では昔の胸甲騎兵のような鉄製のボディアーマーも用いられた。
前者はその後一般化していったのに対し、後者は小銃弾に耐えられるように分厚くなっており、重量は30kg前後にもなっていた。
あまりに重く、行動を阻害してしまう上に防御が不十分なため、特殊用途を除き廃れていった。
ナポレオンの頃と大差がなく、撃たれれば貫通する可能性は高く、何の意味もなかった。
塹壕での着用も無意味だった。事実上ボディアーマは、軍で活用されず、その代償を払うのは兵士たちだった。
1920年代の後半から1930年代の前半にかけてアメリカでは木綿が詰められた布製の廉価なボディアーマーが犯罪者に用いられるようになった。
このボディアーマーは初速が約1,000フィート/秒程度の拳銃弾を防ぐことが可能であったため、法執行機関がそれに対抗する目的で.38スペシャルや.357マグナム弾を装備するようになった。
第二次世界大戦ではソビエト赤軍のSN-42や日本陸軍の九二式防弾具など、一部で鋼鉄製のボディアーマーが使用されていた。
金属は銃が開発される以前から防具として使用されてきた素材であり、繊維系の防弾素材に比して劣化しにくい(チタンの場合は海水でも錆びない)という利点があるものの、重量が他の素材よりも重い、跳弾の危険がある、防弾性能が低い、水に浮かないなどの欠点を持つ。
また、イギリス軍の爆撃機の乗員向けにナイロンを用いた対砲弾片用の”flak jacket” が開発され、以後の軍用ボディアーマーの開発に大きな影響を与えた。
朝鮮戦争においてアメリカ海兵隊がナイロン製のM1951ボディアーマーを採用して兵士に支給した結果、死傷者が減少したことから、以後アメリカ軍ではボディアーマーが標準的な装備となった。
ベトナム戦争中の1967年には、世界初の小銃弾阻止可能なボディアーマーであるT65-2プレートキャリアが開発された。
このボディアーマーには当時チキンプレートと呼ばれていたセラミックプレートが装備されており、低空を飛行する危険な任務に当たるヘリクルーに配備されたが、非常に重かったため戦場では不評であった。
アメリカ軍によって採用されたPASGTボディアーマーではデュポン社が開発したアラミド繊維であるケブラーを防弾材として使用し帝人社のトワロンが有名である。
この素材は、鋼鉄の数倍の引張強度を持ち、なおかつ熱に強い、加工や縫製が容易、安価などの利点を持つが、防弾能力は拳銃弾を止める程度が限界であり(薬量の多いボトルネック型薬莢を持つ高初速の拳銃弾(マウザー7.63mm・トカレフ7.62mm弾・5.7x28mm弾等)や、細身の刃物や弓矢などは通しやすい。
防刃目的に使われる場合は、強化樹脂や金属のプレートを使用したり、チェインメイル(鎖帷子)を併用したりする。)、水分を含むと防弾性能が著しく低下するため防水処置が必要なこと、水に浮かないなどの欠点がある。
耐摩擦効果の高い繊維で編まれた布を数枚から数十枚重ねることで、銃弾のエネルギーを減衰させることに主眼をおいている。
ネットにバレーボールを打ち込むように、繊維が周りにエネルギーを分散させることでダメージを減免するのである。
繊維のみを用いたボディアーマーは比較的軽量で動きも束縛しにくいというメリットがある。
アラミド繊維の大きな特徴として難燃性があり、自己消火性を有し、他の有機繊維の様に溶融せず炭化するため、熱によって溶けた繊維が皮膚に付着したりするという二次災害の危険が無いという利点がある。
このため車両やヘリコプターのエンジンルーム等の高温部の防御にも使用されている。
アラミド繊維に続く第2世代の防弾繊維として、超高分子量ポリエチレンから作られた「超高分子量ポリエチレン繊維」があり、DSM社の「ダイニーマ」やハネウェル社の「スペクトラ」が有名である。
アラミド繊維を超える耐衝撃性・耐摩耗性を有し、さらに吸水で劣化しない、軽量で水に浮くなどの利点を持つが、熱に弱く135度で溶解してしまう欠点を持つ。
超高分子量ポリエチレン繊維は加工方法によっては「ソフトアーマー」だけでなく「トラウマプレート」としても使用することが出来る。
特殊な温度制御式超高圧プレス機で圧着して硬度の高いプラスチックの板状にすることが可能であり、この状態であれば小銃弾の阻止も可能である。
一方ソビエト連邦軍においてもアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)に参戦し現地で対ゲリラ作戦を経験し苦戦した中で独自設計のボディーアーマーの開発に着手し、6Б1、6Б2、6Б3といった幾つかのタイプが アフガニスタン紛争で前線で戦うスペツナズ空挺軍兵士などに装備され使用された。
実戦を経て、ソビエト連邦軍もボディーアーマーを装備に追加した近代化、戦闘能力の強化を図っていた。
また、1991年にアメリカ軍の特殊部隊で採用されたレンジャーボディアーマーはセラミックプレートを前、後部に挿入することで、それまで歩兵用に採用されていたケブラー製のPASGTベストでは不可能だった小銃弾の阻止を可能とした。
PASGTの後継としてアメリカ陸軍と海兵隊で採用されたインターセプターボディアーマーはPASGTと同じくケブラー製のアーマーが装備された(首、上腕部、股間にも増設可能)。
さらに、炭化ケイ素や炭化ホウ素のセラミックを防弾材としたトラウマプレートも採用された。
このトラウマプレートは小銃弾の阻止が可能であり、一般の兵士の生存率向上に貢献した。
しかし、繊維系の防弾素材と比べると重いため、ボディアーマー全体をトラウマプレートのみで構成することは兵士が着用して活動する点において現実的ではない。
そのため重要部位のみの防護に留めておりこれをハードアーマー、他の部位を防護する維系素防弾材であるソフトアーマーに分化し目的に応じて併用、もしくは使い分けられる場合が多い。
アメリカ軍のトラウマプレート「SAPI(Small-Arms Protective Inserts)」はセラミックに「スペクト
」の裏地を当てた板状のもので、5.56mm弾や7.62mm弾を停止する能力を有している。
その改良型である「E-SAPI」はさらに厚さを増したセラミックの裏地に防弾不織布(一方向強化ポリエチレン材料)を当てることで徹甲弾にも対応している。
また、インターセプターボディアーマーにはボディアーマーとして初のPALSウェビングが縫い付けられている。
これにより任意の位置にポーチ類を装着する事が出来、装備の自由度向上に寄与している。レンジャーボディアーマーで不評だった重量も大幅に軽量化されていた。
このように80年代から大幅に能力が向上した軍用ボディーアーマーであったがアメリカ同時多発テロ事件を契機としたアフガニスタン、イラクでの対テロ戦争では接近戦の増加や強力な爆弾による待ち伏せ攻撃(IED)が多発し、ボディアーマーの更なる改善が求められた結果、両側面部にもセラミックプレートを追加したIOTVとMTVが採用された。
これらの選定時にはまったく新しい概念で作られたドラゴンスキンと呼ばれるボディアーマーも競争相手となったがこちらは採用されることは無かった。
対テロ戦争の結果、アメリカだけではなく世界各国でボディアーマーの改善が行われるようになり、日本の陸上自衛隊でも自衛隊イラク派遣時に、当時採用されていた戦闘防弾チョッキでは危険と判断し防弾チョッキ2型を急遽採用して派遣部隊に装備した。
しかし、これらの防御力を追求したボディアーマーは重量が増大しているため、兵士の機動性が低下したり疲労や腰痛を起こすことが問題となった。
特にアフガニスタンの山岳地帯などで戦う兵士にとってはこれは深刻な問題であったため、アメリカ軍では防御範囲を減らすことで軽量化を行ったSPCやSPCSを採用した。
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兵器の発達は日進月歩である。
動画は日本で防弾チョッキ、防弾ベスト、防弾衣と呼ばれるボディアーマーを紹介している。
ボディアーマーは、銃弾や爆発による破片などから身を守るために使用されるベスト状の身体防護服。フラックジャケット、バリスティックベスト、ブリットプルーフベストとも呼ばれる。
日本では防弾チョッキ、防弾ベスト、防弾衣などの呼び方がある。
なお、ボディアーマーの防護性能は使われる素材によって異なっており、砲弾片程度しか阻止できないものから、拳銃弾を防護できるものが一般的である。
中には装甲を貫通する目的で作られた小銃用のAP弾を停止させるNIJ規格レベルIVクラスのものまで存在する。
最初期のソフトアーマー類のうちのひとつは中世の日本において絹で作られていたものだと言われている。
中世末期にマスケット銃が登場すると鎧が打ち抜かれる事例が多発するようになったため、鎧職人側も対抗するために前面を厚く、背面を薄くしたり、積層装甲などの技術を用いて対抗しようとした。
銃が大量に配備されるようになるとマスケット銃の弾が貫通しないことが重要なこととなり、出来上がった鎧を銃で撃つ『試し胴』を行い貫通しないことを証明するようになった。
しかし、実際に打ち抜かれないことは稀であり、そのほとんどは火薬を極端に減らした弾を使うか、職人が弾痕に見せかけたへこみを工具で付けていたのが実情であった。
銃の発達によって装甲の薄い全身鎧は存在価値を失い、鎧は頭と胴体だけを守る物へと変化した。中世のものよりも厚くなり、遠距離からの小銃弾や銃剣に耐えられるようになった。
このような鎧を身に着けた胸甲騎兵や装甲擲弾兵がエリート部隊として戦場に現れた。
しかし、このような鎧も機関銃の登場によって価値を失っていく。
1898年シカゴ市長カーター・ハリソンが自宅にいる際にギャングによって機関銃で撃たれ、命を落とすという事件が起きた。
シカゴ市民の間に衝撃が走り早急な対策が必要となった。
神に仕える人も思いは同じだった。
カシミール・ゼグレンはシカゴの教会の聖職者だった。
市長の死に衝撃を受け、彼は神聖な仕事として防弾ベストを作る事を決意する。
しかし15年間、鋼鉄の削りくずや毛髪を利用して実験を繰り返したものの成果は上げられなかった。
次に試したのが絹だった。
絹は鋼鉄に比べ弾性があり引っ張ると元の長さよりも30%長くなった。
またゼグレンは蜘蛛の巣にも注目。
ぶつかった昆虫の運動エネルギーを巣が吸収する原理を応用しようと考えたが、これぞ、といった織り方が見つからなかった。
しかしヨーロッパの織物工場を訪れた際、ついに理想的ともいえる四層の織り方を見つけ、防弾ベストを仕上げた。
この防弾ベストの効果に疑問を持つシカゴ市民を納得させるため、究極の実証方法を考案する。
性能には自信があったため、彼はシカゴ劇場にて自らベストを着用して実演を行なった。
人々が見守る中、彼の同僚が彼に銃を向け、発砲した。
見事に成功。
弾は貫通しなかった。
彼は信仰心が篤く、自分の行為を信じていた。そして心の奥底には「これは、神からの使命。神は裏切らない」と心から信じていた。
1914年にゼグレンの開発した絹のボディアーマーは800USドル(現在の価格で1万5,000USドル)程度で高価なものだったが、黒色火薬を用いる初速の低い銃弾を防ぐのには十分な性能であった。
これを着用できたのは少数の精鋭部隊のみだった。
この大戦での塹壕戦では、それまでの皮製のヘルメットなどに代わる鉄兜や、一部では昔の胸甲騎兵のような鉄製のボディアーマーも用いられた。
前者はその後一般化していったのに対し、後者は小銃弾に耐えられるように分厚くなっており、重量は30kg前後にもなっていた。
あまりに重く、行動を阻害してしまう上に防御が不十分なため、特殊用途を除き廃れていった。
ナポレオンの頃と大差がなく、撃たれれば貫通する可能性は高く、何の意味もなかった。
塹壕での着用も無意味だった。事実上ボディアーマは、軍で活用されず、その代償を払うのは兵士たちだった。
1920年代の後半から1930年代の前半にかけてアメリカでは木綿が詰められた布製の廉価なボディアーマーが犯罪者に用いられるようになった。
このボディアーマーは初速が約1,000フィート/秒程度の拳銃弾を防ぐことが可能であったため、法執行機関がそれに対抗する目的で.38スペシャルや.357マグナム弾を装備するようになった。
第二次世界大戦ではソビエト赤軍のSN-42や日本陸軍の九二式防弾具など、一部で鋼鉄製のボディアーマーが使用されていた。
金属は銃が開発される以前から防具として使用されてきた素材であり、繊維系の防弾素材に比して劣化しにくい(チタンの場合は海水でも錆びない)という利点があるものの、重量が他の素材よりも重い、跳弾の危険がある、防弾性能が低い、水に浮かないなどの欠点を持つ。
また、イギリス軍の爆撃機の乗員向けにナイロンを用いた対砲弾片用の”flak jacket” が開発され、以後の軍用ボディアーマーの開発に大きな影響を与えた。
朝鮮戦争においてアメリカ海兵隊がナイロン製のM1951ボディアーマーを採用して兵士に支給した結果、死傷者が減少したことから、以後アメリカ軍ではボディアーマーが標準的な装備となった。
ベトナム戦争中の1967年には、世界初の小銃弾阻止可能なボディアーマーであるT65-2プレートキャリアが開発された。
このボディアーマーには当時チキンプレートと呼ばれていたセラミックプレートが装備されており、低空を飛行する危険な任務に当たるヘリクルーに配備されたが、非常に重かったため戦場では不評であった。
アメリカ軍によって採用されたPASGTボディアーマーではデュポン社が開発したアラミド繊維であるケブラーを防弾材として使用し帝人社のトワロンが有名である。
この素材は、鋼鉄の数倍の引張強度を持ち、なおかつ熱に強い、加工や縫製が容易、安価などの利点を持つが、防弾能力は拳銃弾を止める程度が限界であり(薬量の多いボトルネック型薬莢を持つ高初速の拳銃弾(マウザー7.63mm・トカレフ7.62mm弾・5.7x28mm弾等)や、細身の刃物や弓矢などは通しやすい。
防刃目的に使われる場合は、強化樹脂や金属のプレートを使用したり、チェインメイル(鎖帷子)を併用したりする。)、水分を含むと防弾性能が著しく低下するため防水処置が必要なこと、水に浮かないなどの欠点がある。
耐摩擦効果の高い繊維で編まれた布を数枚から数十枚重ねることで、銃弾のエネルギーを減衰させることに主眼をおいている。
ネットにバレーボールを打ち込むように、繊維が周りにエネルギーを分散させることでダメージを減免するのである。
繊維のみを用いたボディアーマーは比較的軽量で動きも束縛しにくいというメリットがある。
アラミド繊維の大きな特徴として難燃性があり、自己消火性を有し、他の有機繊維の様に溶融せず炭化するため、熱によって溶けた繊維が皮膚に付着したりするという二次災害の危険が無いという利点がある。
このため車両やヘリコプターのエンジンルーム等の高温部の防御にも使用されている。
アラミド繊維に続く第2世代の防弾繊維として、超高分子量ポリエチレンから作られた「超高分子量ポリエチレン繊維」があり、DSM社の「ダイニーマ」やハネウェル社の「スペクトラ」が有名である。
アラミド繊維を超える耐衝撃性・耐摩耗性を有し、さらに吸水で劣化しない、軽量で水に浮くなどの利点を持つが、熱に弱く135度で溶解してしまう欠点を持つ。
超高分子量ポリエチレン繊維は加工方法によっては「ソフトアーマー」だけでなく「トラウマプレート」としても使用することが出来る。
特殊な温度制御式超高圧プレス機で圧着して硬度の高いプラスチックの板状にすることが可能であり、この状態であれば小銃弾の阻止も可能である。
一方ソビエト連邦軍においてもアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)に参戦し現地で対ゲリラ作戦を経験し苦戦した中で独自設計のボディーアーマーの開発に着手し、6Б1、6Б2、6Б3といった幾つかのタイプが アフガニスタン紛争で前線で戦うスペツナズ空挺軍兵士などに装備され使用された。
実戦を経て、ソビエト連邦軍もボディーアーマーを装備に追加した近代化、戦闘能力の強化を図っていた。
また、1991年にアメリカ軍の特殊部隊で採用されたレンジャーボディアーマーはセラミックプレートを前、後部に挿入することで、それまで歩兵用に採用されていたケブラー製のPASGTベストでは不可能だった小銃弾の阻止を可能とした。
PASGTの後継としてアメリカ陸軍と海兵隊で採用されたインターセプターボディアーマーはPASGTと同じくケブラー製のアーマーが装備された(首、上腕部、股間にも増設可能)。
さらに、炭化ケイ素や炭化ホウ素のセラミックを防弾材としたトラウマプレートも採用された。
このトラウマプレートは小銃弾の阻止が可能であり、一般の兵士の生存率向上に貢献した。
しかし、繊維系の防弾素材と比べると重いため、ボディアーマー全体をトラウマプレートのみで構成することは兵士が着用して活動する点において現実的ではない。
そのため重要部位のみの防護に留めておりこれをハードアーマー、他の部位を防護する維系素防弾材であるソフトアーマーに分化し目的に応じて併用、もしくは使い分けられる場合が多い。
アメリカ軍のトラウマプレート「SAPI(Small-Arms Protective Inserts)」はセラミックに「スペクト
」の裏地を当てた板状のもので、5.56mm弾や7.62mm弾を停止する能力を有している。
その改良型である「E-SAPI」はさらに厚さを増したセラミックの裏地に防弾不織布(一方向強化ポリエチレン材料)を当てることで徹甲弾にも対応している。
また、インターセプターボディアーマーにはボディアーマーとして初のPALSウェビングが縫い付けられている。
これにより任意の位置にポーチ類を装着する事が出来、装備の自由度向上に寄与している。レンジャーボディアーマーで不評だった重量も大幅に軽量化されていた。
このように80年代から大幅に能力が向上した軍用ボディーアーマーであったがアメリカ同時多発テロ事件を契機としたアフガニスタン、イラクでの対テロ戦争では接近戦の増加や強力な爆弾による待ち伏せ攻撃(IED)が多発し、ボディアーマーの更なる改善が求められた結果、両側面部にもセラミックプレートを追加したIOTVとMTVが採用された。
これらの選定時にはまったく新しい概念で作られたドラゴンスキンと呼ばれるボディアーマーも競争相手となったがこちらは採用されることは無かった。
対テロ戦争の結果、アメリカだけではなく世界各国でボディアーマーの改善が行われるようになり、日本の陸上自衛隊でも自衛隊イラク派遣時に、当時採用されていた戦闘防弾チョッキでは危険と判断し防弾チョッキ2型を急遽採用して派遣部隊に装備した。
しかし、これらの防御力を追求したボディアーマーは重量が増大しているため、兵士の機動性が低下したり疲労や腰痛を起こすことが問題となった。
特にアフガニスタンの山岳地帯などで戦う兵士にとってはこれは深刻な問題であったため、アメリカ軍では防御範囲を減らすことで軽量化を行ったSPCやSPCSを採用した。
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